いま、2世として カネミ油症50年・上 異変 半世紀前の「毒」むしばむ

 半世紀も前の「毒」が、自分の体をむしばんでいるのではないだろうか-。カネミ油症認定患者の長女で、未認定の下田恵(28)=諫早市=にとって、油症は過去ではなく、「いま」の問題だ。幼い頃から体の異変が続いている。でも国や加害企業には救いの手を差し伸べる気配すら、ない。

 油症事件は1968年10月、本県など西日本一帯で発覚した。有害化学物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシン類などが混入したカネミ倉庫(北九州市)製の食用米ぬか油が原因。食べた人たちに深刻な健康被害が現れた。

 恵が生まれる20年以上も前の出来事。だが、子どもの頃から原因不明の症状が続いている。すぐ風邪をひき、長引いた。吹き出物に膿(うみ)がたまり、痕が残る。頭痛、腹痛、鼻血-。汚染油を食べて油症認定されている五島市奈留町出身の母順子(56)と同様の症状。ダイオキシン類は、母体から胎盤や母乳を通じて子どもに移行するとの報告がある。

 17歳から県の油症検診を受診しているが、医療費などの支援を受けられる油症認定はずっと却下。ダイオキシン類の血中濃度の基準を満たしていないためだ。症状があるのに油症被害ではないとされる不可解さ。怒りをぶつける場所もなく、もどかしさの中で生きている。

 体の不調と闘いながら、介護福祉士として勤務。毎日の健康管理を徹底して乗り切ってきたが、いつ大きな病気になるとも限らず、不安は尽きない。

 もし「カネミ」がなければ自分の進む道もまた違ったのかな-。悲しみが募ることも。「でも今は前向きに、強く生きようと思っています」。そう語るのは、自分や母の苦しみと思いを、社会に届けたいと考えるようになったから。恵は2世として、あらためてカネミ油症と向き合おうとしている。=文中敬称略=

 発覚から今年で50年となるカネミ油症事件は、次世代救済が一つの焦点となりつつある。「油症2世」の現状を、下田恵さんを通じて考える。

母順子さんに抱っこされる2歳の頃の恵さん。体の異変にずっと悩んできた

© 株式会社長崎新聞社