いま 2世として カネミ油症50年・上 次々と症状「もう隠せない」 母と娘、苦しみの連鎖

 「私は人と何か違う」。下田恵(28)が、そう意識したのは小学生の頃だ。

 いったん風邪をひくと、なかなか治らない。授業中にひどい頭痛が襲い、よく保健室で過ごした。頑張って教室で座っていても、意識がもうろうとして授業の内容が頭に入らない。「ずるしてる」「怠けてるんでしょ」。学校を休んだり保健室に行ったりするたび、クラスメートからかけられる言葉が胸に刺さった。

 母順子(56)は、娘の体の異変に気付いていた。自身は1968年、五島市奈留町で小学1年の頃にカネミ倉庫の汚染食用油を家族と食べた油症1世。その後、多種多様な症状と偏見、差別に苦しんできただけに、わが子への健康影響が最大の不安だった。影響を認めたくもなかった。幼い恵を、理由も言わず内科や皮膚科に通わせた。だが恵は成長するにつれ、症状が次々に現れた。「もう隠せない」。恵が高校1年になった時、真実を明かした。「私はカネミ油症の被害者。恵の体が弱いのは、そのせいかもしれない」

 恵は、ショックを受けるより、むしろ「ほっとした」。いろんな症状が初めて油症という原因と結び付いた。心の中のもやもやが、少しだけなくなった。

 しばらくして、恵は被害者らの集会に参加。油症で人生を壊された母の証言を初めてじかに聞いた。自死すら考えた母の青春時代。苦しみの連鎖。涙が止まらなかった。

 恵は、油症について少しずつ母に教えてもらった。汚染油を製造したカネミ倉庫、有害物質を製造販売したカネカ(大阪市)、食の安全を管理すべき国などを訴えた裁判は問題解決に至らず、被害者は長年放置され、次世代の救済策もない。企業や国の無責任さにあきれた。

 「油症のことをもっと知りたい」。そんな思いから恵は2010年、社会人になって初めて、長崎市内で被害者団体の街頭活動に参加した。そこで、ある現実を突きつけられる。

「前向きに生きたい」。恵さんは体の不調を抱えながら、カネミ油症2世として歩もうとしている=諫早市内

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