いま、2世として カネミ油症50年・中 無関心 「もう終わった話だろう」

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 カネミ油症発覚から42年目の2010年1月、長崎市の鉄橋。油症2世で当時20歳だった未認定患者の下田恵(28)=諫早市=は、長崎市で被害者団体などが開くシンポジウムのビラを道行く人に配っていた。同団体の活動に主体的に参加したのは初めて。「被害者を救済してください」。冷たい風の中、声をからした。

 高齢男性がビラを邪険に突き返しこう言った。「カネミはもう終わった話だろう」。ある若者は油症という言葉も知らず、ポカンとした表情で受け取ったが、後で目に留まったのは地面に捨てられたビラだった。

 殺虫剤混入の中国製ギョーザ中毒事件など食品をめぐる問題が世間を揺るがしていたころ。しかし、同じ食の安全に関わる油症は、「終わった話」とされている。それが現実だった。

 恵は、高校時代に母順子(56)から油症を知らされ、その後参加した被害者集会のことを思い出した。集会で母は、マスクやサングラス、帽子で顔を隠し、身元が分からないようにして体験を証言した。普段は気丈な母だが、過去の壮絶な差別の影響で、名前や顔を知られることを極端に恐れていたのだ。ショックだったが、違和感もあった。「お母さんには何の罪もないのに。これじゃ、何か悪いことをした人みたい」。母にもそう伝えた。

 根本的な治療法のない健康被害で、あまり働けなくて収入は乏しく、社会的にも偏見の目で見られるため、隠れるように訴えるしかないのかもしれない。しかし、それではなかなか世間には伝わらない。

 さらに2世の場合は、被害者としてすら認められにくいから、体調不良を油症被害として語ることもはばかられる。毎年、恵の油症検診の結果は知事名で「油症と判断するには至らない」と短文の通知が届くだけ。「親と同じ基準を子に当てはめ、判断し、紙切れで却下通知する。それで本当にいいのだろうか」

 油症は重層的に覆い隠される条件がそろっている。でも恵にとっては、まだ何も終わっていない。ビラ配りの経験は、発信を決意した原点となった。「無関心は次の事件を生む。もっと伝えなければ」と。=文中敬称略=

「認定するには至らない」。恵さんが17歳の頃から受け続けている油症検診の結果の通知書