女子野球の“レジェンド”が集結! 「第5回女子野球シニア交流大会」開催

関西女子野球連盟が開催した「第5回女子野球シニア交流大会」【写真:広尾晃】

女子野球の歴史を築いてきた35歳以上の選手が集結

 3月3日、関西女子野球連盟は、「第5回女子野球シニア交流大会」を開催した。これは、関東と関西の35歳以上の女子野球プレイヤーが一堂に会し、交流戦を行うもの。

 今年は履正社、箕面キャンパス(箕面グラウンド)で行われた。

 今は女子プロ野球もでき、WBSC女子野球ワールドカップには侍ジャパン女子代表が出場するなど、女子野球の認知度も高まっているが、今回のシニア交流大会に出場するシニア選手が十代、二十代の頃は、女子野球は社会には十分認知されていなかった。

 多くの女子野球選手は、プロ野球中継を毎晩のように見るうちに男子と同じように野球ファンになり、父親や兄弟とともに野球を始めた。小学校時代は男子と一緒にプレーをしていた女子選手たちだが、中学では一緒に練習、試合に出ることが難しくなり、高校では野球をする道がほぼ閉ざされるのが一般的だった。

 中学、高校でソフトボールに転向する選手も多かったが、「野球とソフトボールは、よく似た競技ですが、やはり違うスポーツなんです。ソフトボールが好きで、小さいころからプレーをしていた人と、野球が好きで途中からソフトボールに転向した人では、思い入れが違います。ソフトボールにやりがいを見出して、ずっとプレーする人もいますが、いつかは野球をしたいと思いながら、ソフトボールをしている人もいたんです」と女子野球の指導者は語る。

 そういう人たちが、集まって女子野球チームができていく。中学や高校にも女子野球部ができていく。1986年に女子軟式野球連盟ができ、1997年には全国高等学校女子硬式野球連盟が発足するなど、少しずつ女子野球をする環境も整えられていったが、それでも女子野球選手を取り巻く境遇は厳しかった。

日本人初の女子プロ野球選手・鈴木慶子さん、侍ジャパン監督の橘田恵さんも出場

 この日も出場した鈴木慶子選手は1995年に渡米し、日本人初の女子プロ野球選手として活躍したが、プロ選手とは言っても年俸で生活できるレベルではなかったため、日本国内で仕事をして貯金し、その資金でアメリカでプレーをした。鈴木慶子さんは女子硬式野球チーム「ファーイーストブルーマーズ」を率いて、今年も香港で国際大会に参戦している。

 結婚した選手の中には、家事、子育てのために野球を中断し、子どもが大きくなってから選手、指導者として復帰した人も多かった。多くのシニア選手たちは、チームは違っていても、ほとんどが顔見知り。ともに女子野球の地位向上のために戦った仲間であり、”戦友””同志”のような結びつきなのだ。

 試合は和気あいあいとした雰囲気で行われた。特別代打として履正社高校女子野球部監督で、侍ジャパン女子代表の橘田恵監督が登場、一振りで見事な安打を放ち、大いに球場を沸かせた。

 試合は関東女子野球連盟が17-12で、関西女子野球連盟を下した。

 試合の後は、橘田恵監督による履正社高校女子野球部部員のノックが披露された。専用の球場、恵まれた環境で思い切り野球を楽しむ女子部員。その見事なグラブさばきに、シニア選手たちは感嘆の声をあげていた。

 男子の野球競技人口が減っている中、女子野球人口は増加している。その基礎を築いたシニア選手たちは、まさに女子野球のレジェンドだと言えるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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