北朝鮮「元新体操の星」も#MeToo、性暴力の被害を告白

韓国社会では、女性検事が上司の性暴力を告発したことをきっかけに、セクハラや性的虐待に対して声を上げる運動「#MeToo」が勢いを得ている。北朝鮮で新体操のスター選手として活躍後に脱北し、韓国で新体操のコーチを務めているイ・ギョンヒさんも、重い口を開いたひとりだ。

彼女は、1991年に英国のシェフィールドで行われたユニバーシアードでは3つのメダルを獲得しており、まさに北朝鮮を代表する選手だった。2007年の脱北後には、韓国代表チームのコーチに就任し、今年からは代表チーム予備軍の監督を務めている。

そんなイさんは、韓国のテレビ局JTBCの調査報道番組に出演し、かつての上司に性暴力の被害に遭っていたことを実名で告白した。加害者は、2011年から2014年まで彼女の上司だった、大韓体操協会元専務理事のK氏。国際大会に出場する選手を選ぶ権限を持つ業界の権力者だ。

彼女が長く口を閉ざしていたのは、まさに、彼女が脱北者であるが故だった。

韓国のスポーツ界はただでさえ上下関係に厳しく、上司に不条理なことをされても耐えるしかないという状況が最近に至るまで続いてきた。それに加え、法治主義とは言い難い北朝鮮で暮らしてきた脱北者は、最低限の法律の知識や概念すら持ち合わせていないことが多い。

韓国の慶南大学極東問題研究所が2011年に脱北者74人を対象に調査した結果では、法律に含まれるものとして90.5%が「最高指導者の指示」、86.5%が「保衛部(秘密警察)や保安署(警察署)の布告」を挙げたのに対して、「憲法、刑法、行政法」などの成分法を挙げた人は79.7%に留まった。また、法が存在する理由として最も多かったのは「最高指導者の便宜に合わせて政治を行うため」(81.1%)という回答だった。

法治社会では、法律は自らの権利を守るためのものとして受け止められるが、人治社会の北朝鮮で、法律は自らを痛めつける支配者の命令に過ぎないということだ。そのような意識を抱えたまま韓国にやってきた脱北者は、法律について知らないために、犯罪の被害に遭うことが多い。

そもそも北朝鮮では性暴力の概念が希薄で、男性上司が女性の部下に「(朝鮮労働党)の党員にしてやる」などともちかけ、性上納を強いる行為が横行していた。自分のされたことが性暴力であったことに気づくのは、脱北して韓国に来てからというケースが多いという。

脱北女性が、韓国で性暴力の被害に遭う事例も後を絶たない。

韓国女性家族省が2012年に発表した「暴力被害脱北女性カスタマイジング自立支援方案研究」という報告書によると、脱北後に性暴力の被害を受けた経験があると答えた脱北女性は全体の44.3%に達した。これは韓国女性の平均4.7%の10倍近い。

イさんには上司であるK氏から、「モーテルに行こう」などの要求を繰り返し受けた。そのたびに拒否したが、「これぐらいどうした」「資本主義では、特に体操界ではこんなことぐらいかまわないんだ」などと暴言を吐かれ、身体的接触を強いられたという。

そんなイさんも、韓国生活が長くなるにつれ、意識が変わったようだ。上部団体の大韓体育会にK氏の性暴力について文書で内部告発を行い、同氏を強姦未遂で警察に告訴した。

内部告発を受けた体育会は監査に動き、K氏の副会長就任を拒否した。しかし、強姦未遂容疑について検察は、不起訴処分を下した。

イさんはまた、同じ業界の関係者から支援を受けるどころか「K氏は辞めた。それでよいではないか。訴えるのはやめるべきだ」と刑事告訴を取り下げるよう促された。イさんは、それがまた悔しかったと語った。

インタビュー中、イさんは何度も嗚咽を繰り返しながら切々と自らの被害について訴え、「悔しい思いをした人の心情をなぜわかってくれないのか。結局はここで生まれた人の味方か」と、韓国社会の脱北者に対する差別が今回の件の背景にあると述べた。そして、加害者K氏についてこう表現した。

「もはや人と呼べない。ただただ邪悪。私はそう呼んでいる」

© デイリーNKジャパン