【片言隻句】「正論」と「現実」

 人事異動の辞令が出た。先日、青筋を立てて怖い顔をしていた工事会社の営業責任者だ。本人は「やり過ぎたかな」とも感じつつ、信念を曲げるつもりもない。

 現実は「正論」がいつも事態を活性化するわけではないことを赤裸々にする。組織の中では―そして組織が大きければ大きいほど―正論は外に追いやられ「実際的な対応」とのギャップが強まる。今回の人事異動が左遷なのか、回避なのか。分からない。

 発端は、氏が管理するエネルギー関連の工事。継続的な取引関係にある大手顧客と請負契約を結んで工事にかかったが、条件に織り込まれたものより、実際の現場はかなり難物だった。

 より大掛かりな工事が必要になると分かったが、追加工事による大きな費用負担を誰が負担するか、で顧客と紛糾してしまった。

 請負側がそれをすべて負担すれば、工事は赤字になる。早速、顧客との交渉が始まるが、話し合いは暗礁に乗り上げる。どうボタンを掛け違えたのか「費用増分の負担はできない」と顧客は回答。現場が一時止まる。

 ものづくりの現場では、見立てと現実の乖離(かいり)は生じやすい。特に「地面」を相手にする現場では、十分な予測が難しくなる。目算が狂って追加・変更を迫られる工事も。その際の費用・手間は誰が負担するのか。それは結局「忍耐」の問題なのか。

 ある経験深い業界人が語る。「お客さまとは一体誰か。それは、もうけさせてくれる人。結果的に損をするようであれば、それはこちらが客ということ」。

 まずは頷ける。しかしどういう訳か、現実はその通りには進まない。それを押し通せばむしろ「不器用な生き方」といって排除されさえする。妙な話だが。

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