絆、より深く 宇城市の大嶌さん、福島にミカン届け続ける

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福島県浪江町にミカンを届け続けた大嶌法子さん(左)と亜紀子さん=7日、宇城市松橋町

 東京電力福島第1原発事故の影響で全町避難が続いた福島県浪江町。宇城市松橋町の通信販売会社・大嶌屋社長の大嶌法子さん(63)は、熊本のミカンを贈って避難先の住民を励まし続けた。交流は、熊本地震の際、浪江町の人たちからの温かい支援にもつながった。大嶌さんは現地への出店も計画し、「福島と熊本との絆を絶やさず、共に復興を進めたい」と意気込む。

 「原発事故に苦しむ人たちを熊本の農産物で元気にしたい」。大嶌さんが浪江町への支援を始めたのは2012年3月。県内の農家からミカンを安く譲ってもらい、住民の多くが暮らす同県相馬市の仮設団地に発送した。熊本のミカンは、震災1年を機に住民が開いたイベントで配られ、人気を集めたという。

 その後も年2回のイベントに合わせ、ミカンを贈り続けた。13年からは長男夫婦の健太郎さん(33)、亜紀子さん(33)と一緒に仮設団地を訪ね、住民との交流を深めてきた。亜紀子さんは「住み慣れた町に帰ることができないつらさを抱えながらも、みんな笑顔で迎えてくれた」と振り返る。

 仮設団地自治会長の小松康二さん(54)は「避難生活が長引くほどに、大嶌さんの気持ちがありがたく、再会を心待ちにする住民が増えていった」と感謝する。浪江町の人たちに少しでも喜んでもらおうと始めた大嶌さんの活動が、いつしか、互いに離れがたい絆を育てていた。16年の熊本地震の直後、今度は浪江町の人たちから大量の支援物資が大嶌さんの元に届いた。「みんなの心が涙が出るほどうれしかった」

 昨年3月、浪江町の一部で避難指示が解除された。10月に現地を訪ねた大嶌さんの心情は複雑だった。自宅に戻った住民はわずかしかいない。多くの民家や商店は震災直後の傷ついたままの姿で建っていた。「町の再生には、きっと人が集まる場所が必要だ」。新たな支援を決心した。

 大嶌さんは、全国各地から集めた果物を一堂に販売できる店を開くのが長年の夢だったという。その夢を浪江町で実現しようと、既に準備を始めている。原発事故による風評被害を拭い去るため、福島県の農産物もPRするつもりだ。

 震災から7年。大嶌さんは浪江町の人々の笑顔が忘れられない。「にぎわいを取り戻す日まで共に歩む」。改めて肝に銘じている。(堀江利雅)

(2018年3月12日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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