豊川だけじゃないぞ!日本人選手がやった「海外でのスゴい偉業」まとめ

これまでに日本人選手たちが海外で成し遂げた「偉業」を振り返ってみる。

豊川 雄太

3点が必要という絶望的な状況で途中投入されると、そこからハットトリック(+1アシスト)を記録し、大逆転でオイペンを残留に導いた豊川。

客観的にみれば、1チームだけが降格するリーグ、それも過去ほとんど下部リーグで過ごしてきたクラブの小さな出来事に過ぎないかもしれない。しかし応援するものにとっては目の前のクラブこそが世界の中心であり、人生そのものである。

徳島ヴォルティスの熱烈なサポーターで先月、急逝した俳優の大杉漣氏は生前、このように話していた。

「J2でもJ3でもJ1でも、カテゴリーの問題じゃなくて、心に届く試合があるんですよ。(中略)心に届く試合、響く試合、そういうものを一つでも多く、サッカーで見たいなと思います。」(徳島新聞より)

熊本で生まれた23歳の日本人青年がわずか20分の間に起こした“奇跡”。それはオイペンと苦楽を共にするサポーターの心を撃ち抜き、後世に語り継がれる伝説となっていくであろう。

熊谷 紗希

これまで、欧州の頂点に立った日本人サッカー選手はいない。しかしそれは男子に限った話だ。

2013年にフランクフルトからリヨンに移籍した熊谷紗希は、2015-16、2016-17シーズンに女子チャンピオンズリーグを連覇(※女子CL制覇自体は永里優季も2009-10シーズンにトゥルビネ・ポツダムで達成)。

さらにディヴィジョン・アン(リーグ)、クプ・ドゥ・フランス(カップ)も制覇し、2年連続の3冠という壮大な記録を達成している。

2016年の決勝戦ではMVPも獲得した。そして、今季もその3つのコンペティションすべてで勝ち残っている。3年連続の偉業達成に期待したい!

優勝まとめ

ここでは優勝に貢献した日本人選手たちをまとめて紹介する。

記憶に新しいのが、岡崎慎司のプレミアリーグ制覇だ。2015-16シーズンのレスターはまさかの大躍進を見せてサッカー界を席巻!

そのなかで加入1年目だった岡崎は36試合に出場。5得点という結果以上の貢献ぶりで、英雄のひとりに。

そのほか、香川真司、長谷部誠、奥寺康彦はブンデスリーガ優勝に貢献(香川はマンチェスター・ユナイテッドでプレミア優勝も経験)。

2000-2001シーズンのローマで日本人初のスクデット獲得を果たした中田英寿は、ユヴェントス戦での一撃はもはや伝説だ。

そして、小野伸二もフェイエノールト加入1年目の2001-02シーズンに、UEFAカップ優勝を成し遂げている。

中村俊輔はセルティックの3連覇に貢献、特に2006–07シーズンには年間MVPをはじめタイトルを総なめにした。

最後に忘れてならないのが、本田圭佑。

VVVでは1部再昇格の原動力となり、MVPも受賞するなど大暴れ。CSKAモスクワでも優勝に貢献し、ACミランの「10番」を背負うまでに。

和久井 秀俊

2016-17シーズン、久保裕也が欧州1部リーグでシーズン20ゴールを達成したことが話題となった。

日本のメディアではこれが「日本人初」とも伝えられたが、実はそれは正確ではない。最初にこの記録を達成したのは、エストニア1部リーグで長くプレーしたMF和久井秀俊である。

和久井はMFでありながら高い得点力を誇り、近年のリーグ戦では二桁得点を複数回にわたってマーク。なかでも2013-14シーズンは33試合に出場し21ゴールをあげており、得点ランキングで5位に入っていたのだ。

久保の20得点はもちろん賞賛に値するが、欧州には50以上もの1部リーグが存在する。そのいたる所で日本人選手が奮闘しているという事実を忘れてはならない。

瀬戸 貴幸

瀬戸貴幸のサクセスストーリーは日本サッカー史上でも屈指のものだ。

2007年、当時3部リーグに在籍していたアストラへ入団。クラブとともに成長し、1部昇格後はキャプテンマークを巻くほどの選手に。

そのパフォーマンスは一般的にも高く評価され、2013年ごろには「セトをルーマニア代表に!」との声が現地メディアで踊るようになっていた。

日本代表には一度も招集されていないが、アルベルト・ザッケローニ、ヴァイッド・ハリルホジッチの両監督とも彼のプレーを追っていたことが伝えられている。

2015-16シーズン、悲願のリーグ初優勝にも貢献した瀬戸は、32歳となった現在もアストラに所属。

「一つの海外クラブでの在籍期間」としては日本人選手でもっとも長く、ルーマニア1部における外国人選手の歴代最多出場記録も更新し続けている。

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