【特集】再評価される「ニコヨン」 アンダークラスの時代に 労働が人間にもたらす尊厳と連帯

By 佐々木央

ナレーションを担当した東川絹子さんと幻灯「にこよん」

 「ニコヨン」とか「失対(しったい)事業」と言っても、知る人は少なくなった。それが再び意味を持ち始めているという。どういうことなのか。大阪の労働専門図書館「エル・ライブラリー」が映画史研究者の鷲谷花(わしたに・はな)さんと共催した上映会「映像に見る戦後の失業・貧困問題と労働運動」に出かけた。(47NEWS編集部、共同通信編集委員佐々木央)

 いずれも日雇い労働者を組織する「全日自労」という労組の制作だが、「にこよん」の制作者には「飯田橋自由労働組合」も名を連ねる。戦前から職業紹介の象徴的な地であった「東京・飯田橋」の歴史も想起させる。 上映されたのは「ここに生きる」というセミドキュメンタリー映画と幻灯「にこよん」。1950年代に制作された作品で、日雇い労働に従事する人たちの哀歓を描く。

 「ここに生きる」の故望月優子監督は、貧しいお母さん役を多く演じた「お母さん俳優」。参院議員も務めたが、映画監督もしていたことは初めて知った。

 「大失敗」という総括

 ここでは作品の詳しいストーリーには立ち入らず、上映後に行われた杉本弘幸さん(日本近現代史)の講演に即して、ニコヨンや失対事業の現代的な意味を考えたい。

 敗戦直後の日本は、多くの産業が壊滅状態になった上に、復員した人たちも職を求めて、おびただしい失業者がちまたにあふれた。そこに生まれたのが、失業者対策(失対)事業だった。敗戦から4年、1949年に施行された緊急失業対策法第1条は、その目的をこう述べる。

 「多数の失業者の発生に対処し、失業対策事業および公共事業にできるだけ多数の失業者を吸収し、その生活の安定を図るとともに、経済の興隆に寄与する」

 しかし労働行政の中で、この事業は「大失敗」だったと総括されている。なぜか。

 もともと、他にどうしても職がない人のための「最終的かつ臨時的な労働機会の提供」であって「他に適職がある場合はその日からその職に就くべき」という趣旨だったのに、現実には就労者の滞留・固定化・高齢化が進んでいったからだ。

 若者、特に男性は高度経済成長の波に乗って就職していったが、高齢者や女性には適職がなく、失対事業に滞留する人が多かった。

 楽ではなかった仕事

 失対事業で働く日雇い労働者を「ニコヨン」と呼んだ。日給が240円だったから、など諸説あるが、語源ははっきりしない。美輪明宏の「ヨイトマケの唄」に描かれたように、こうした労働者は世間から差別的な目で見られることもあったという。

 実態としては、屋外作業が大半で、道路整備や草むしり、簡単な造成などだったが、未明から職業安定所に並ばねばならないこと、雨が降ったり仕事にあぶれたりすれば無給という時期もあったこと、高齢の人が多かったことも考えると、楽をしていたとはいえない。

 緊急失業対策法は結局、1995年に廃止され、失対事業は終焉を迎える。

 それから20年以上過ぎた今、失対事業を見直す意味があると、杉本さんは言う。それはまず格差の拡大・深刻化に関わり、また労働者の協同・連帯という課題にもつながると指摘する。

 確かに、いま日本社会には巨大な貧困層「アンダークラス」が出現、急速に膨張しつつあると言われている。これらの人たちの最終的なセーフティーネットは生活保護だが、ハードルは高く、何より世間の目が厳しい。

 不正受給者はそう多くないのに、ネットには生活保護の受給者をたたく書き込みがあふれている。「働かざる者」への差別意識は極めて強い。そういう偏見を乗り越える貧困救済策として、自分なりにできる労働によって糧を得るという方法は有力だろう。

 苦役から自立・協同へ

 杉本さんの「労働者の協同や連帯」という言葉にも、なるほどと感じた。生活保護の受給者は、行政(ケースワーカーなど)とのタテの関係しか結べない。たとえ軽作業でも、同じ場所で共に働くなら、お昼を一緒に食べたり、会話を交わしたりする中で、ヨコのつながりが芽生え、育つだろう。

 杉本さんによれば、失対労働者たちは物資の共同購入や生活保護の申請補助、教育・識字運動、サークル活動も展開し、保育所まで設置したという。その達成の一つがこの日、上映された映画や幻灯の制作でもあった。

 私たちはともすれば、労働を義務や苦役ととらえ、苦役は軽ければ軽いほどいいと考えがちだ。「楽をしてご飯を食べたい」。その思いが強いからこそ、逆に「働かざる者食うべからず」という厳しい戒めがあるのだと思う。

 だが働くことには、自立を実現し、自らの尊厳と主体を取り戻すという代え難い価値もあるのだ。それはそのまま、他者の尊重や他者との協同にもつながっていく。働くことの意味の深さや広がりを考えさせられた上映会だった。

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