【高校野球】聖地のマウンドは譲らない― 乙訓を初の甲子園に導いた左右のエース

乙訓高校の左右のエース、富山太樹(左)と川畑大地【写真:沢井史】

乙訓を牽引する左右のエース、最速142キロ川端とスライダーが武器の富山

 球春到来。3月23日から甲子園球場で第90回記念センバツ高校野球大会がスタートする。ドラフト候補が多数在籍する大阪桐蔭高は史上3校目の春連覇に注目が集まり、16年の優勝校・智弁学園高も虎視眈々と上位を狙っている。今回、フルカウントでは高校野球を取材して約20年のベテラン・沢井史記者が、実力校の集まる近畿地区6校を独自の目線で紹介する。第3回は選抜初出場となる京都・乙訓高の左右のエース。 

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 昨秋、初出場ながら近畿大会でベスト4まで進出。今春のセンバツ初出場を決めた乙訓は、1年時からマウンドを分け合ってきた左右のエースがいる。昨秋はエース番号をつけた右腕の川畑大地、そして背番号10の左腕・富山太樹だ。 

 川畑は最速142キロの速球が武器の本格派右腕で、富山は最速138キロのストレートにキレのあるスライダーを操る、プロのスカウトも注目する好左腕。だが、2人が競い合ってからずっとエース番号をつけるのは川畑だ。「入学当初は、力から見ると実戦に早く出てくるのは富山の方だと思っていました。その点、川畑はまだ体が細くてパワーから見ても物足りなさがありました。体ができてくれば楽しみだとは思っていましたが……」と入学当初の2人を市川靖久監督は振り返る。 

 1年生だった一昨夏の夏休みの練習試合は、とにかく2人に登板機会を与えた。すると、投げるたびに球にキレが増していったのは川畑だった。「球速は120キロ台半ば。でも、バッターは差し込まれている。緩いカーブもうまく使えていたし、何よりどんな場面でも表情に出さず、冷静に投げられる」。川畑の資質の高さはすぐに市川監督の目に止まった。 

 1年の秋には2人共に公式戦でベンチ入りしたが、実戦デビューは富山の方が早かった。当時から富山の評判が高かったことは川畑も、もちろん認めていた。 

「1年生の時は富山の方が先にAチームの遠征について行っていました。富山は左右の打者に振らせるスライダーが武器で、それは自分にはない武器です。富山とはクラスが違うので普段はしゃべる機会は少ないのですが、練習では変化球の握りとか、今日のストレートはどうだとか、今日投げてみてヒジの位置がどうだ、とか意見交換はします。富山がいつも隣にいるので常に刺激はもらっています」 

マウンドを分け合ってきた2人、“投げ切る”思いを胸に

 だが一方の富山もそんな川畑のことを羨望のまなざしで見つめてきた。 

「自分が初めて投げた試合は確かに早かったですけれど、先発する試合が川畑の方が増えた時期は悔しかったです。入学直後は自分も川畑も調子の波があったけれど、川畑は球の質が徐々に安定してきて、自分との差ができてしまいました。背番号の差はそこだと思います」 

 1年の秋。能力を評価してもらったとはいえ「投げてみないと分からない」と言われていた富山は、周りからなかなか信頼を得られなかった。1年の冬は、苦手なランニングが中心のトレーニングが多く、ついていくのがやっと。春になると球速やキレが安定してきたが、感情のコントロールはなかなかできなかった。「ピンチの場面での冷静さも足りない。どうしても感情を出してしまうところは今でも課題です」。 

 それでも川畑は、それが富山の良さだと捉えている。「気持ちを前面に出してバッターにボールと気持ちで向かっていける。自分にはなかなかできない」。川畑は冷静さが持ち味だが、気持ちをボールに込められる富山をうらやましくも思った。 

 つまり、2人はお互いにないものを持ち、マウンドを分け合ってきた。2人の現在の課題は意外にも同じだった。「去年までは完投させてもらった試合では後半に点を取られてしまった試合が多くて、ほとんどが疲れで手投げになっていたんです。ですので、この冬は下半身強化と体重アップがテーマです」と川畑が話せば「1試合を通して、調子を保つことがテーマです」と富山。これまでは主に継投の試合が多かったが、やはり自分が1試合を投げ抜きたいという思いがにじみ出ている。 

 2人は互いを「ライバルであり仲間」と話す。初の甲子園でも、もちろん2人でひとつになり全国の強豪に立ち向かう。だが、“投げ切る”精神を全うして初めて全国優勝という文字がくっきり見えてくると2人は信じている。 

(Full-Count編集部)

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