悲惨な結果に終わったもの悲しさと、その失意からの華麗なる復活劇―。
2月に行われた平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で金メダル候補だった18歳のネーサン・チェン(米国)は、全てのジャンプでミスが出たショートプログラム(SP)で17位、巻き返しを狙って4回転ジャンプ6本に挑む離れ業をやってのけたフリーで1位の総合5位。「4回転キング」は目標の表彰台こそ逃したが、決戦の地で強烈なインパクトを残した。
2002年に冬季五輪が行われた米ソルトレークシティーの出身だ。両親は中国からの移民で、「米国で両親は文無し、家無し、友人無しだったから大変な思いをした。片言の英語さえもしゃべれなかった」。
一から生活を築き上げて5人きょうだいの末っ子として育てられたからこそ、チェンは両親への感謝の念が大きい。勉学にも強い興味を持ち、将来は医師になることも視野に入れる。
フィギュアに加えて体操やバレエ、アイスホッケーも並行して取り組み、アスリートとしてバランスよく能力を高めてきた。
史上初めて4回転ジャンプ5種類を跳べるようになったのは、その身体能力のたまものだ。
腰の大けがをした次のシーズンとなった2016年秋から多種類の4回転を駆使してトップ選手への階段を一気に駆け上がった。
彼を取材していてまず感じるのは、話すスピードの速さだ。頭の回転が速いのだろう。矢継ぎ早に繰り出される記者の質問に対して、間髪入れずによどみなく答える。
あまりの速さに、昨年の四大陸選手権の記者会見では司会者から「もうちょっとゆっくりしゃべりなさい」とたしなめられたほど。
日本人記者としては彼の英語を訳して記事にするのは毎回骨が折れるが、理路整然と話す内容は10代とは思えない。
例えばロシアのドーピング問題については「勝つために不正を働くことはフェアではない」ときっぱり自らの意見を表明した。
その人間としての成熟ぶりと昨年12月のグランプリ・ファイナルを初制覇するなど疑いようのない実力で、近年人気低迷に苦しむフィギュア大国・米国のチェンへの期待値は高まるばかりだった。
ただ、五輪のフィギュアスケートが行われた江陵に入ってから、連日メディアの取材に応じるチェンの表情が、日に日に硬くなっていく様子が気になっていた。
今季は世界的に有名な企業が続々とスポンサーにつくなど、「広告塔」的な役割も担った。18歳への重圧は図りしれない。
信じられないようなミスを連発したSPは我を失った結果だ。
翌日のフリーで「(周囲の)期待を忘れて自分らしく楽しめた。失うものはなかった」と振り返る滑りはまばゆく輝いた。
得意のジャンプを次々と決め、フィニッシュポーズのあとに顔をゆがめながら両手でガッツポーズ。万感の思いがにじんだ。
フリー1位となる驚異の215.08点をたたき出し、金メダル候補と言われるゆえんを示した。
メダルを獲得できなかったことには後悔の念もあっただろうが、4年後の晴れ舞台は自身のルーツの中国・北京である。超高難度の4回転ジャンプの構成を試合で挑むか質問が飛ぶと、決まって「maybe, it’s possible」と話す男の辞書に不可能という文字はない。
苦手なトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)や表現面など、まだ課題も少なくない。さらなるスケールアップを求め、頂点への挑戦が再び始まる。
吉田 学史(よしだ・たかふみ)プロフィール
1982年生まれ。東京都出身。2006年共同通信入社。仙台などの支社局で警察や行政を担当して12年から大阪運動部で高校野球やサッカーを担当。14年12月に本社運動部へ異動して、水泳、テニス、フィギュアスケートなどをカバー。