伊藤智仁氏が伝説の“魔球”誕生の瞬間を語る「誰がやっても投げられない」

笑顔でインタビューに応じる富山GRNサンダーバーズ・伊藤智仁監督【写真:荒川祐史】

伝説のスライダー投手・伊藤智仁氏が明かす“魔球”の原点

 今季からBCリーグの富山GRNサンダーバーズの監督に就任した伊藤智仁氏。ヤクルトで14年間、指導者を務めた同氏は、現役時代は代名詞でもある「高速スライダー」を武器に数々の伝説を残してきた右腕だ。

 いまだに史上最強の変化球として語り継がれている“魔球”。このほど伊藤氏はその誕生の秘話を語ってくれた。

 伊藤監督は開口一番、「センスかな?」と冗談を交え高速スライダーが生まれた時のことを振り返った。魔球が誕生したきっかけは社会人時代に遡る。それ以前にもスライダーは持ち球にしていたが、当時は「カーブの方が自信があった」。決め球には、ほど遠いかったという。

 当時の社会人は金属バット全盛期。バットの芯を外しても、スタンドインする場面を何度も経験していた右腕は大きく曲がる、バットに当てさせない変化球の取得を考えていたという。後にプロ入りする野茂英雄氏はフォーク、潮崎哲也氏はシンカーを武器に活躍しており、「バットに当てさせないのが一番の近道」と模索した。

 だが、変化が大きくてもキレがない、キレがあっても変化がない……。試行錯誤を繰り返し、悩んでいた時期に同志社大学から入ってきた先輩投手に握りを教わったという。

「投げ方と握りをアレンジして、すぐにゲームで使いました。同じ配球で投げても、バッターの反応が違った。捕手からも『明らかに違うよ』と言ってもらってそこからですね」

プロデビュー前に抱いた確信、自身のスライダーは「誰がやっても投げられない」

 生まれ変わったスライダーという武器は面白いように相手打者のバットを何度も空を切らせた。周囲も真似することができなかった変化に「一番変わったのは曲がり幅。イメージは速く、大きくです。ストレートが8割なら変化球は10割。ストレートより腕を振る感じです」と説明する。

 その後、ヤクルトに入団。他球団と対戦する前にすでにプロで通用する確信があったと同氏は振り返る。

 ルーキーイヤーの春季キャンプではブルペンで先発投手の球筋を見て「コントロールはいいけど、直球は僕のほうが上かな、カーブのキレはいいけど、変化球は僕も負けてないな、とか。活躍している先輩と自分を比べてみて、やっていけると感じました」と、新人離れした洞察力をもっていたことも明かした。

 2018年からはNPB入りを目指す若者たちが集まる独立リーグで指揮を執る。伝説の魔球を受け継ぐ投手は現れるのか。伊藤監督はスライダーの握りを見せながら「僕は全然、教えますよ。握りも投げ方も。でもね、僕のスライダーは誰がやっても投げられないですよ」とはにかんだ。

 現役通算37勝27敗25セーブ、防御率2.31。記録より記憶に残る伝説の投手・伊藤智仁氏は笑顔で語っていた。

(Full-Count編集部)

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