両親が切り開いたミカン畑再開拓 2世帯の有人島・前島で暮らす橋沢さん

 長崎県西彼時津町子々川郷に、2世帯が居住する有人島がある。本土から約300メートルの大村湾上に浮かぶ前島だ。住人の一人、橋沢征夫さん(74)は幼い頃から、舟で海上を行き来する日常生活を送っている。
 橋沢さんによると、前島は戦後の食糧難の時代に、引き揚げ者が国策で入植した島。橋沢さんの両親は山を切り開いてミカン畑を作り、子どもを育てた。三男の橋沢さんは父親が櫓(ろ)をこぐ舟で対岸の本土に渡り、学校に通った。20代で結婚し、独立して町中心部で水道工事の事業を始めたが、島の外へ引っ越すことはなかった。島に残ったのは7人兄弟のうち1人だけだ。
 交通の命綱は船外機付きの小型ボート。自宅前と対岸の簡素な波止場を数分で結ぶ。「10年ほど前、対岸に街灯が設置されるまで、夜の帰宅は懐中電灯で手探り。海に落ちることもあった」と橋沢さんは振り返る。
 電気と電話は島に来ている。1960年代ごろ工事費の3分の1を自己負担して引いたという。水道は井戸を掘って確保。郵便物や新聞は、対岸に設けた小屋で受け取っている。妻の美津子さん(72)は「買い物は週2回の通院の時に済ませる。しけで用事に出かけられないときは困るが、訪問セールスなどに煩わせられないのがいい」という。
 橋沢さんは10年ほど前に事業を畳み、父の死後荒れていた島の農地を再開拓。ミカンの木400本をはじめ、ブドウ、カキなど多彩な果樹を育てている。「ここを守らなければならないという意識があった。女房がよくついてきてくれた」と美津子さんを気遣う。
 大型商業施設が立ち並び発展する時津町の片隅で、海や山と向き合うように息づいている前島の暮らし。橋沢さんは「見せ物じゃない」と外部の好奇心を退けながら、「潮の干満で舟と波止場の間に大きな段差が生じるときも、しけで舟の乗り降りが危険なときもある。前島の住民がどんな暮らしをしているか、町の行政に携わる人はもっと関心を持っていいのではないか」と訴える。

大村湾に浮かぶ前島で果樹の手入れをしながら暮らす橋沢征夫さん。背景の山は時津町本土=時津町子々川郷
本土側の簡素な波止場から望む前島。10年ほど前に街灯が設置されるまで、夜は真っ暗だったという=時津町子々川郷

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