【特集】「分断」乗り越え 学びや再開 原発事故から7年、飯舘村の思い

福島県飯舘村の菅野典雄村長(左)と復興アドバイザーを務める田中俊一さん(右)=田中さんは原子力規制委員会委員長在職中の2017年1月撮影

 福島県飯舘村の保育所、小中学校が4月から再開する。福島第1原発事故による避難指示が昨年3月末、村内の大部分で解除され、この1年準備を整えてきた。「学校のない村に未来はない」と教育の復興を目指してきた菅野典雄村長、原子力規制委員会の前委員長で、退任後に飯舘村に居を構えた復興アドバイザー田中俊一さんにそれぞれ話を聞いた。(共同通信=柴田友明)

 ▽避難先からの通学

 1年ぶりに飯舘村を訪れた。除染ではぎ取った土や草木を入れた「フレコンバッグ」が村の各地で山積みになっている光景が今も続く。しかし、新たな変化もあった。昨夏オープンした「道の駅」の施設に入ると、天井から青々とした観葉植物がつるされ、地域の物産が並ぶ。新鮮な白菜の前で鍋に入れたらうまそうだとつばを飲み込んだのが分かったのだろうか。販売員の男性が「今朝取れたものです」とささやいてくれた。活気を取り戻そうとする村の自助努力をひしひしと感じた。

 昨春、菅野村長から聞いた、村の運営に関する話は次のようなものだった。

 「普通の災害はゼロからのスタートだが、(マイナスから)ゼロに向かってのスタート。長い間、世代を超えて不安と戦っていかなければならない」「学校がない自治体に未来はない、将来を担う若い世代への教育が大切だ。いかに各世代のコミュニケーションを失わずに新たな村づくりを進めるか」「(被害者として)忘れないでというのはおこがましい。自分たちで汗をかいて初めて状況が良くなる」

 帰村したくても戻れない住民への気遣いなど1時間以上、地域が向き合う課題について村長の熱弁を聞いた。何ら愚痴をこぼすことがない素朴な語り口、その言葉にはりんとした響きがあった。

 それから1年。今回、筆者は日本記者クラブ取材団に参加、記者会見の場で学校再開について尋ねた。現実を直視、ポジティブな対応を考える村のトップの口調は以前と変わらなかった。

 村民約6千人のうち、昨年3月末に避難指示が解除されてから帰村できた住民は1割に満たない537人(今年3月1日現在)。児童・生徒ら約100人のほとんどは福島市などの避難先からスクールバスで学校に通う予定という。

 ▽村の希望

 「この中で(4月から)小学6年と中学3年となる子が圧倒的に多い。なぜだと思います。(来年3月に)飯舘の卒業証書がほしいからです」。管野村長はそれを知って涙が出るほどうれしかったと話した。

 震災前、村内には3つの小学校と飯舘中学校があった。避難指示のため隣接する川俣町、福島市の仮設校舎で子どもたちは学んできた。学校再開のため、飯舘中学校の校舎が改修され、4校の子どもたちは同じ建物で学べるようになる。敷地内には認定こども園の園舎も新たにできた。子育て世代の親が戻るきっかけ、復興の拠点になってほしい、そんな村の願いがある。

 「私はずっと教育には熱い思いを持ってきた。少人数教育の中でさまざまなことが学べ、自己表現や自立する心が育まれる環境を整えたい。(着任する)先生たちとも心を通わせたい」。筆者の問いに村長はそう抱負を語った。

 ▽「生きる力」を

 田中俊一さんは原子力規制委員会の初代委員長を昨年9月まで5年務めた。各地の原発再稼働の是非を巡って、その発言は常に注目されてきた。退任直前の会見で語ったのは「福島第1原発のような事故を二度と起こしてはならない」。昨年12月に飯舘村に移住した。引退後も被災地の現場に向き合おうとするスタンスだ。

 田中さんは事前に「福島のこれから」というタイトルのレジュメ資料を用意していた。

 「この4月から、飯舘村、葛尾村、楢葉町、川俣町山木屋地区などの小中学校が再開される。これらの学校教育の成否は、復興の要であり、自然環境に恵まれた少人数教育をいかした特色のある学校にできるか、それをいかに発信するかが問われている。子どもにとって魅力ある学校づくりが大切である」。そう記されていた。

 復興アドバイザーとして、100人の子どもが通うようになる4月以降、自分の知識や経験を役立てたいと、田中さんは願っている。取材団に対して、この飯舘で子どもたちには「生きる力」を学んでほしいと、体験型の授業の構想について語った。

 筆者が具体的にはどういうことかと問うと、「ここの星空はきれいなんですよね。夜空を眺めながら宇宙の成り立ちを考える。あるいはお年寄りの知恵を生かす授業、花作りとかそんなことも学べる…」。それまで、国の避難区域の見直しが遅すぎる、政府の失策だと険しい面持ちで語っていた田中さんの表情が和らいだ。子どもたちの教育への思いは尽きなかった。

 「見渡す限りあるフレコンバッグ、飯舘村には約230万袋あります」。田中さんは汚染土壌の再生事業にかかわることも自分の仕事だと語った。

 子どもたちに生きる力を身に付けさせたいという思いは、日々現実と向き合い、生活する上で考える力を養うことだと、筆者なりに理解した。

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 原発事故と避難区域 2011年3月の東京電力福島第1原発事故で、国が避難指示を出した区域。放射線量に応じて3種類あり、14年の田村市都路地区以降、順次解除が進んでいる。昨年3月31日に飯舘、川俣、浪江の3町村で、4月1日に富岡町で放射線量が比較的低い「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」が解除された。第1原発が立地する双葉、大熊両町の全域と、5市町村の「帰還困難区域」では避難指示が続いている。

昨夏にオープンした福島県飯舘村の「いいたて村の道の駅までい館」=2018年2月撮影
除染廃棄物を入れたフレコンバッグ=福島県飯舘村、2018年2月撮影

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