メクル第259号 中学生のころ不登校を経験 牟田万希子さん(17)=長崎市出身= 「そのままの自分でいいよ」 なやんでいる人へメッセージ

 春休みが始まりました。新年度に向け、今、どんな気持ちですか。期待や不安、まよい、さまざまな葛藤(かっとう)がある人もいるでしょう。今回は、中学生のころ不登校を経験(けいけん)した牟田万希子(むたまきこ)さん(17)=長崎市出身、ニュージーランド在住(ざいじゅう)の高校3年生=にインタビュー。メクル読者へメッセージをもらいました。                 

 不登校になるまでは、推薦(すいせん)で学級委員をまかせられるくらい“いい子”でした。でも、まわりでいじめがあった時、よりそうこと以外、何もできない自分が苦しかった。「自己否定(じこひてい)」をくり返し、中学1年の秋から学校に行けなくなりました。自分が学校に行けないことが信じられず、親にも申し訳(わけ)なくて、ずっと部屋にとじこもっていました。

 2年生になると、母が調べてくれた長崎市内のフリースクールやフリースペースに足を運ぶようになりました。だんだん「自己肯定(じここうてい)」ができるようになりました。転機は、不登校やニートの支援(しえん)活動に取り組む中村文昭(なかむらふみあき)さんの講演(こうえん)会。懇親(こんしん)会で、中村さんに「息子の留学(りゅうがく)先を見学しないか」と声をかけてもらい、中学3年生になった4月にニュージーランドのオークランドにある公立高校「グリーンベイハイスクール高校」を母と見学しました。英語はほとんど分かりませんでしたが、不登校の自分でも通えると聞いて、7月からの留学を決意しました。

 学校の雰囲気(ふんいき)も、授業(じゅぎょう)も、文化も、日本とは何もかもちがいます。解(と)き方をじっくりと考える数学の授業では、計算機の持ちこみOK。家庭科は多国籍(たこくせき)の料理を学びます。授業は選択制(せんたくせい)で、ホームルーム以外は別行動。エンジニアを目指す子は技術系(ぎじゅつけい)の科目を、子ども関連に興味(きょうみ)があるわたしは幼児(ようじ)教育の科目を多めに選択しています。

 いろいろとなやんでいるメクル読者へ。「そのままの自分でいいよ」と伝えたいです。わたし自身、ふさぎこんでいた時期も長かったですが、「学校に行かなくてもいいよ」と言ってくれた人たちのおかげで、少しずつ元気になり、人に会いたくなりました。卒業後は日本の大学に進み、教育について学びたいと思っています。

自身の経験について語る牟田さん=長崎市銀屋町、長崎銀屋町教会

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