カネミ油症・次世代が座談会 発覚翌年生まれ 救済されず 迷う2世「どう関われば」

 1968年10月に発覚したカネミ油症の次世代被害者に焦点が当たる機会は、現在ほぼない。油症との関わりすら知らない油症2世もいるが、症状があっても差別や偏見を恐れて、油症との関係性を秘匿したり支援を積極的に求めきれない人もいる。
 長崎県五島市で開いた2世の男性、女性らによる座談会では、次世代被害者の今の迷いや葛藤が浮かび上がった。

小さい頃の健康状態やカネミ油症への思いを語る男性(左)=五島市三尾野1丁目、市総合福祉保健センター

 ■黒い肌の色
 記者 「油症1世」による、国などを被告とした(1)一連の集団訴訟は既に終結していますが、カネミ油症をいつ、どのように知りましたか。また、油症と関係があると思うような健康被害はありましたか。
 男性 小学生のとき、母に油症検診へ連れられて行ったのが最初。何の検査かは知らなかった。油症との関わりを感じたのは、生まれたばかりのころの自分の写真を見たとき。他の家族と比べても(2)肌が黒く、赤ちゃんの肌の色じゃなかった。爪も黒く変色した。虫歯になりやすい時期もあった。今は特に体の変調はないけど、もしあってもそれが汚染油と関係があるのか、それとも加齢のため起きるのか、はっきりしないと思う。
 女性 私は、きょうだいの中で、一番健康だった。カネミ油症について知ったのは、中学か高校に入ってから。きょうだいの上の2人は(68年までに生まれ)皮膚症状があったので、これが油症なんだと思った。私は倦怠(けんたい)感やのどにものが引っ掛かるような感じなど、甲状腺を患ったことがある。でもそれがカネミと関係あるのか分からない。

油症患者と認定されるには油症検診を受け、ダイオキシン類の血中濃度など高いハードルを越えなくてはならない=五島市内

 ■基準に疑問
 記者 家族の中で油症認定されているのは誰ですか。また2世が患者と認定されるには(3)油症検診でダイオキシン類の血中濃度などハードルの高い基準を満たす必要があります。油症検診についてどう感じていますか。
 男性 認定患者は両親(油症検診)と兄(同居家族認定)。自分は油症検診を昨年、数十年ぶりに受けた。母親や周囲から言われて。認定されるとかされないとかそういう感じで臨んではいない。正直、50年も前のことで、自分たちの年代が認定されるのは厳しいんじゃないかなと感じている。年数がたちすぎて、救済に関して新しい展開があるとも思わない。2世に対しスポットライトも当たっていないと思うし、半分は諦めている。
 女性 家族の認定患者は、両親と兄と姉(いずれも油症検診)。
 記者 お二人は油症発覚翌年の69年生まれ。胎児の頃に母親が汚染油を食べていた可能性は非常に高いが未認定です。同居家族認定も、68年生まれは認定されることがありますが、69年生まれは認定されていない。
 男性 おなかの中にいるときに(ダイオキシン類が胎盤を)経由するというのは聞いた。そういうことも認定の判断基準にしていいのにと感じる。生まれた年で区切るのはちょっと…。
 女性(4)自分たちより下の子でも認定されている人はされているのに、おなかの中にいた人が認定されないのは、おかしな話だと思う。

 ■風化を懸念
 記者 次世代には本当に目立った被害がない人もいますし、被害があってもカネミ油症と関わりたくない人、関係を知られたくない人、救済を求める人もいます。
 男性 自分はこれまでも油症を深く知ろうとしていたわけではないし、今後どう関わっていけばいいのか定まっていない。2世同士が集まるような場がないと個人的に声を上げることも難しい。時間がたちすぎているというのもある。2世といっても、今では子を持つ人もいる親世代。救済の声を上げれば、自分の子どもら3世も絡む。周囲からの偏見などを考えれば声を上げたくない人が多いのも不思議ではない。被害者としての意識も全体的に1世に比べて低いと思う。
 女性 症状がある人でも「もう、そっとしといて」と言う人、「カネミカネミと騒がないで」と言う人もいる。切実に支援を願う人が集まれる場があるといいなとは思うが、人ごとというか熱心ではない2世もいるし油症患者と思われたくない人もいる。ただ、親の世代がいずれ亡くなればカネミのことも忘れられてしまうのかな、過去のこととして消滅していくのかなという思いはある。

◎補足説明 
 (1)一連の集団訴訟
 1969年以降、被害者はカネミ倉庫やカネカ、国などに損害賠償を求める集団訴訟を相次いで起こし、87年に双方が和解するなどして終結。これ以降に新たに油症と認められた被害者は2008年に提訴。新認定訴訟と呼ばれ、最高裁が15年に下した決定は、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅するという民法の「除斥期間」を採用。油症発覚翌年の69年末から起算し、89年末には訴える権利が消滅しているとして訴えを退けた。
 (2)肌が黒く、赤ちゃんの肌の色じゃなかった。爪も黒く変色した。虫歯になりやすい時期もあった。
 次世代への影響は、まだ定かではないが、油症患者の親と同様に、内臓や神経疾患、全身の吹き出物などの皮膚症状、爪の変色など全身にわたってさまざまな症状が出るケースがある。色素沈着の“黒い赤ちゃん”として生まれたり、多様な症状が若くして頻発したりといった報告もある。ただ汚染油との因果関係が不明確とされるものも多い。
 (3)油症検診
 カネミ油症の認定患者、未認定患者らの健康状態を知るため毎年実施。皮膚科や内科などの臨床検査をはじめ、油症の原因物質となるダイオキシン類の血中濃度、骨密度、血圧などを調べる。未認定患者については、総合的に判断し県が油症認定の可否を通知するが、本県では油症検診で新たに患者と認定された人は本年度まで13年連続でゼロか1桁にとどまる。
 (4)自分たちより下の子でも認定されている人はされている
 油症発覚後しばらくは、69年以降に生まれた子どもの中にも認定された人が一部いる。

◎「同居家族認定」狭き門/胎児 1969年以降出生は“対象外”
 カネミ油症事件の被害者救済策の一つとして、2012年に成立した救済法に基づく「同居家族認定」がある。ダイオキシン類など油症の原因物質の血中濃度が診断基準に満たなくても、油症認定された人と当時一緒に暮らし汚染油を摂取した人は認定患者とみなす制度。だが、その門は狭く、次世代被害者の救済にはつながっていない。
 国が示す同居家族認定の対象者は▽油症発生当時、認定患者と同居していた▽油症発生当時、カネミ倉庫の米ぬか油を摂取した▽現在、心身の症状があり、治療や健康管理が継続的に必要-の全てを満たす人で、直接口から汚染油を食べた人に限っている。本県では、これまでに153人が同居家族認定された。
 同居家族認定の対象に掲げる「油症発生当時」の期間について、厚生労働省は取材に対し「いつというのは定めていない」と曖昧だ。一方、県によると69年1月以降に生まれた人が同居家族認定されたことはない。つまり母親が68年に汚染油を摂取している間、胎児であったとしても、出生が69年以降だと事実上、対象外となっているのだ。
 ダイオキシン類などは一般的に、胎盤や母乳を通じて子どもに移行するとされる。実際、69年以降に油症患者の母親から出生し、重大な身体障害があったり大病を患ったりして油症との因果関係が疑われるケースは少なくない。
 同居家族認定の対象から実質外れている次世代被害者は、油症検診を受診して認定の道を探るしかないが、有害物質の血中濃度は総じて高くないため、同濃度を重視する現在の診断基準に基づき認定されるケースはまれだ。つまり放置された状態といえる。
 長崎県などの被害者団体は「認定患者の子どもで健康被害があれば、患者とみなしてほしい」「2世の被害実態にもっと目を向けるべき」-などとして認定の在り方に疑問を呈し、見直しを国に要望している。しかし厚労省は、消極姿勢のままだ。

◎ズーム/カネミ油症
 カネミ倉庫(北九州市)が食用米ぬか油を製造中、カネカ(大阪市、旧鐘淵化学工業)製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入し発生。PCBの一部はダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)に変化し、油を口にした人は内臓疾患や皮膚、神経、骨の変形などの症状に苦しみ、発覚当初約1万4千人が被害を届け出た。全国の認定患者数は、長崎、福岡両県を中心に同居家族認定を含めて約2300人(死亡者含む)。今年3月6日現在の本県での認定患者は、同居家族認定を含めて964人(死亡、転居者含む)、県内在住の生存者は469人。

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