【高校野球】“流れ”の奪い合い制した明徳義塾 逆転サヨナラ引き寄せたポイントとは

大会3日目・第1試合は明徳義塾(高知)が中央学院(千葉)に逆転サヨナラ勝利

明徳義塾が9回2死から大逆転、球史に残る好ゲームに

 第90回記念選抜高校野球は25日、大会3日目を迎え、大会屈指の好カードとなった明徳義塾(高知)-中央学院(千葉)の一戦は明徳義塾が劇的な逆転サヨナラ勝ちを収めた。昨秋明治神宮大会覇者は1点を追う9回2死から驚異的な粘りを見せ、一、二塁の好機を作ると4番・谷合悠斗がセンターへ逆転サヨナラ3ランを記録。7-5の大逆転勝利で、馬淵史郎監督は甲子園通算50勝となった。手に汗握る展開となった一戦について、沖縄・興南高校で春夏通算6度の甲子園出場を果たし、京都大学などでも監督を務めた比屋根吉信氏(66)に解説してもらった。  

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 今大会一番の好ゲームと言ってもいいでしょう。最後は劇的な逆転サヨナラホームランで試合が決まりました。7-5と点差だけを見れば大味な展開に見えますが、ゲームの流れを取り合う見応えのある試合でした。

 何といっても明徳義塾は試合巧者と言えます。この試合のポイントは「1点」の取り方。中央学院は4回に1点を返してなおも無死三塁と絶好の機会でしたが、三振、スクイズ失敗、凡打で1点止まりだったのが後に大きく響いた。逆に言えば、明徳義塾がよくあの場面を1点で抑えたと言えます。

 そして8回。中央学院は疲れの見える明徳義塾の市川から4点を奪い逆転に成功しました。市川はあの1イニングだけで4四死球を与え、相手チームに“流れ”をあげてしまった。序盤、中盤と試合の流れを作っていたのは明徳義塾でしたが、あの回だけ、その流れを手放した。

 しかし、そこは百戦錬磨の馬淵監督。その裏の攻撃が見事だった。2死一塁から二盗を決め、確実に1点を取りに来た。相手にいった流れを少しでも取り戻すためです。そして2死二塁から6番の安田が見事にその期待に応えるタイムリーを放った。3-5で9回を迎えるのと、1点差の4-5では相手が負うプレッシャーが全く違ってくるからだ。

沖縄・興南高校、京都大学などで監督を務めた比屋根吉信氏

大谷を1番で起用した中央学院

 この8回裏に挙げた1点によって中央学院の大谷は大きなプレッシャーを背負うことになる。9回、簡単に2死を奪いながらも、その後は勝ちを急いでしまったのか勝負球が高めに浮いてしまう結果となった。谷合に打たれた一発も3球連続で直球勝負し、高めに浮いたボールでした。

 中央学院はこれまで4番だった大谷を1番で起用した。大会ナンバーワン右腕ともいえる明徳義塾の市川とは秋の明治神宮でも戦っていたからこそ、中央学院の相馬監督は早い段階でリードしたいと考えたはず。大谷で走者を返すのではなく、走者・大谷を返すため、多くの打席が回る1番で起用したのでしょう。

 敗れはしましたが、中央学院の大谷も素晴らしい素質をもった投手でした。ただ、腕の振りはいいですが、まだ下半身はうまく使えていない。下半身の使い方がうまくいけば、制球力も上がり、スピードも140キロ以上のボールを投げられるようになるでしょう。

 今大会屈指の好ゲームは流れの奪い合いとなり、最後は試合巧者の明徳義塾が流れを奪い返した形になりました。監督50勝を素晴らしい好ゲームで飾り、記憶に残る一戦になったと思います。

〇比屋根吉信(ひやね・よしのぶ)  
1951年9月19日、兵庫県尼崎市出身。66歳。報徳学園高から大阪体育大に進学。卒業後は西濃運輸で日本選手権にも出場。1976年に沖縄・興南高の監督に就任。仲田幸司、デニー友利ら多くのプロ野球選手を輩出。監督生活10年間で春夏通算6度、甲子園に導き1980年の選手権大会ではベスト8入りするなど同校を強豪校に作り上げた。その後は社会人野球・阿部企業、熊本・有明高の監督を務める。2010年から12年まで関西学生野球リーグの京都大学の監督を務め、田中英祐(元ロッテ)を育てた。

(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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