シカゴから考えるナガサキ 終末回避へ問われる自覚 西村 明

 3月中旬に米シカゴを訪問した。東大とシカゴ大の大学院生による研究発表や、文理をまたがる研究者による研究フォーラムが行われた。加えて、交流のあるシカゴ大院生たちが「戦争、記憶、宗教の探究-広島と長崎の事例」というミニ講演会を企画してくれ、私自身も話す機会を得た。
 シカゴ大は、伊ムッソリーニ政権から逃れて亡命したフェルミらが、1942年に人類初のウラン核分裂連鎖反応の実験を行った場所である。
 その25周年を記念して構内に建てられた前衛彫刻家ヘンリー・ムーアの「核エネルギー」という作品は、キノコ雲や頭蓋骨を連想させるおどろおどろしさで、むしろその罪業を告発しているかのようであった。実際、昨年末の75周年記念行事に際しても批判の声が上がった。
 シカゴ大はまた、「世界終末時計」のオブジェが置かれる場所でもある。この時計は、核戦争をはじめとした「世界の終わり」を警告するために『原子力科学者会報』に毎年掲載されている。米国に続き、ソ連も核実験を実施した53年に最も針が進み、終末2分前にまでなった。その後、針は行きつ戻りつを繰り返し、現在は残念なことに53年と同じく残り2分を指す。
 私の講演では、長崎における原爆犠牲者の慰霊・追悼の歴史を取り上げ、長崎市長の平和宣言の変遷に触れた。
 当初「原爆犠牲者の霊」の標柱に向けて読まれた宣言文は、70年代後半以降、会場の参列者に向けられるようになる。それに伴い、誓いの対象として登場していた死者が、死後の安寧を祈られる対象へと変わっていく。
 しばらくすると長崎市民、日本国民、世界中の人々に対して核廃絶・世界平和を呼び掛けるようになる。こうした生者への呼び掛けは、冷戦末期の軍拡競争によって世界終末時計が残り4分にまで進んだ81年に登場した。
 シカゴ大のエリアはまた、私の研究する宗教学の分野では、1893年のシカゴ万博において万国宗教会議が行われた場所として有名である。同会議には、日本からも仏教者などが参加している。そこに始まる諸宗教の対話・協力の精神は、長崎県宗教者懇話会が毎年8月8日夕刻に爆心地公園で実施する慰霊祭「平和への祈り」にも流れている。
 今回、シカゴから長崎の原爆惨禍に思いを致して思うのは、終末時計を進めるのも人間、その進行を止めるために協力できるのもまた人間であるという一見単純な事実であった。しかしその事実はまた、これからの時代をどう運ぶかは、われわれ現代人次第であるという重い教訓でもある。
 【略歴】にしむら・あきら 1973年雲仙市国見町出身。東京大大学院人文社会系研究科准教授。宗教学の視点から慰霊や地域の信仰を研究する。日本宗教学会理事。雲仙市から東京へ単身赴任中。

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