【特集】謝金への異様なこだわり 文科省の授業報告要請問題(2)

By 佐々木央

長野市での講演で「質問状は前代未聞」と語る前川喜平さん

 前川喜平さんの授業に絡んで文部科学省が出した質問状を読み、違和感を持った点を紹介し、掘り下げて考えたい。

 最初の質問状の第12問は次のようにただす。

 「前川氏を講師で招いた際の交通費や謝金の支出はあったのかどうか。あった場合、それらの金額はいくらか。また、それらの経費はどこから出ているのか、具体的にご教示ください。また、同氏以外の外部講師の交通費や謝金の扱いはどうなっているかも併せてご教示ください」

 ■手続きにまで立ち入る■

 外部の人を招いて講演や授業をしてもらったら、その団体の規定や資力に応じて交通費や謝礼を支払うのは当然だ。講師は何を聞きたくて自分を呼ぶのかを理解し、その要望と自分が語りかけたいことを調和させ、必要に応じて調べ、考え、整理して、聴衆の心に届くように工夫して話す。時間もエネルギーもかかる仕事だ。

 今回は中学生を主たる対象としたが、保護者や地域の人も参加した。聞き手の多様さは内容や表現には制約として働き、講師にとって難易度は上がる。だが質問者は、謝金や交通費を出したかと聞く。学校現場なら無料のボランティアが当然ということだろうか。

 質問全体の意図からいえば、前川さんの授業のことだけを聞けばいいのに、前川さん以外の外部講師への謝金についても聞いている。前川さんには、ことさらに多額の謝金を払っていると疑ったのか。

 謝金の支出手続きにまで立ち入っているのも異様だ。市立中学が独自に実施した授業について、国がここまで追及するのはなぜか。適正支出かどうかを、名古屋市議会や名古屋市の住民が監視するのは当然だが、国がその適正を疑い、問いただすのは、よほどの違法を疑わせるような情報や事情が存在しない限り、越権だろう。質問者はお金に異常な執着を持っているのだろうか。

 ■質問状覆う「ぬるさ」■

 公式の質問状に個人的な興味を盛り込んだとすれば、なんともぬるい公文書と言わなければならない。その「ぬるさ」は、この質問状全体を覆っている。

 質問状のタイトルは「本年2月16日に名古屋市立八王子中学校において実施された『全校一斉総合』公開授業についての質問」。具体的な質問に入る前の「主文」ともいうべき前書き部分は次のように述べる。

 「去る2月16日に八王子中学校の総合的な学習の時間において、前川喜平氏を講師とした授業がおこなれたと中日新聞に報じられております。このことに関し、下記の質問について、平成30年3月5日(月)18時までに書面にてご回答願います。なお、ご回答を踏まえ、再度書面にて又は直接ご確認をさせて頂く可能性がありますので、ご承知おきください」

 公的な組織(この場合は文科省)が別の組織(この場合は名古屋市教委)に、通常業務以外の何かをやらせようというとき、その法的根拠や目的、法的措置の可能性が明示されなくてはならない。課長補佐は、地方自治法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)の何条に基づく行為であるかを明記し、つまりは自らにその権限があること、相手はそれに応じなければならないことを宣明しなければならなかった。

 強制を伴う権限行使であるなら、その根拠が「中日新聞の報道」だけであってはならないことも明白だ。いいにしろ悪いにしろ、新聞報道されるような授業は枚挙にいとまがない。その授業の何が問題だから質問するのかを「主文」で相手に告げる必要がある。

 結論を一部先取りすると、ここまで突き詰めた先に浮かび上がるのは、この質問行為が法的な根拠を欠くだけでなく、権限を逸脱し、違法であるということだ。自民党文教族がどんな照会をしてきたにせよ、部下がどんな提案をしてきたにせよ、文科省の初等中等教育局長は突っぱねることができたはずだ。「そんな権限はありません」と。

 だが結果として、越権そのものの「質問」はなされた。そして林芳正文科相はいまだに「法令に基づく調査であり問題ない」との答弁を維持している。

 このぬるさ、法的思考の不徹底が文科省全体に浸潤しているとすれば、悲しい。それとも法は理解しながらも、国は地方に対して何でもできるという「お上意識」が抜けていないのだろうか。(47NEWS編集部、共同通信編集委員・佐々木央)=続く

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