落ちこぼれボク、グランプリ受賞までのキセキ!〜異星人ボクと宇宙人母さん〜 苦悩編/Keita Kawasaki

<概要>

 高校に入って、治療法のない難病にかかり、授業も休みがちで成績は落ちこぼれ。それでも、ボクの宇宙人母さんは見放さなかった。母さんに励まされ、高校の支援はゼロだったけれど、有名なビジネスプラングランプリで優勝した。そのアイデアを実現しようと、今、ボクは米国ノースカロライナ州の大学に留学中だ。

 

ボクの宇宙人母さんのイメージ。

いつもなにやら楽しげだけど、頭の中では、何をかんがえているのか、ちんぷんかんぷん。

1)治療法のない病気にかかってしまったボク

★  ★「魔の”X Day”」がやってきた!

ある日。突然、なんの前触れもなく、ボクにとっての「魔の”X Day”」がやってきた。

高校2年の夏休みが始まって間もなくのある日。いつものように部活へ行こうと駅へ向かっている最中、足首をケガしてしまった。

「これなら、大したことがないな」と、そのまま学校へ行き、いつものように軽く流していた。ただ、ケガをしたのが、足首ということもあり、念のため、近くの接骨院で治療をしてもらった。

ところが、2日後の夜中。突然、異常な足の痛みで目がさめる。

「なんで、急にこんなに痛むんだよ」

足首に手を当てると、パンパンに腫れ上がり、しかも熱い! 小さい頃から痛みは慣れ親しんできていたけど、こんな痛みは一度も経験したことがなかった。我慢の限界だ。

 

痛む足を引きずりながら、親の寝室の扉を開いたと同時に、叫んだ。

「母さん、起きて! 足が、おかしいんだよ。これまで、こんな痛くなったことない。救急病院、連れてって!」

 

「とにかく、一旦冷やそう」と、大急ぎで氷水の袋を患部にあててくれた。その後、これまでお世話になってきた大きな病院に、手当たり次第次々と電話をかける。

 

しかし、30分たっても病院は見つからず、結局、朝まで待つことにした。

親は、病院へ行く支度を整えた後、朝まで寝る。

一方のボクは、時々襲ってくる激痛で眠れない。「一体全体どーしたんだ、ボクの足」——だんだんと、全身が熱くなってきたように感じる。あと、3時間もこの痛みに耐えられるのだろうか?

8:00、ようやく、見つけた横浜中央病院へと車を走らせる。

休日だというのに、病院は長蛇の列。

忙しいながらも、ボクの痛みを察した看護婦さんが、車椅子を用意してくれた。

初めての車椅子—。

 時々襲ってくる激痛に耐えるためには楽だが、みんなの目線が集まり恥ずかしくてしょうがない。

★★「足のかかとの骨の中に穴が空いています」

検査を終え、診察を待つ間に、何度も「足が取れ落ちたか」と、思うほどの激痛に襲われ、自分の足がついていることを、その度に確認する。

 

ようやく、名前が呼ばれ、診察室に入り、椅子に座った次の瞬間だった。

「足のかかとの骨の中に穴が空いています」と、画面を見ながら困ったような医師の声が耳に飛び込んできた。

そして、医師から詳しい話が始まった。

 

「恐らく、怪我をした時の衝撃かなにかで、この穴に痛みが伝わってしまったのでしょう。残念ながら、ここの病院では、専門医も機材もないので、治療ができません。1日も早く、大学病院へ行き、適切な治療を受けられることをお勧めします」と、親切に教えてくれた。

 

マジでいってるの? 足の骨に穴が空いている? 

そんな話、聞いたことがないよ。

 

一方の親は、持ってきたパソコン(なんで、持ってきているの???)を開き、近隣の大学病院を次々と調べては電話をしている。

ところが、どこも「担当医師がいないため、よくわからない」と、断られてしまう。

しばらくしてから、「しょうがない。とにかく、一旦、うちに帰ろう。こうなったら東京女子医大にお願いをしよう!」と、そこでも受け入れてもらえるかどうかわからないのに、妙に自信たっぷりに話す親。

改めて、診察室に戻り担当医にその旨を伝え、必要書類の準備をしてもらう。

 

会計を終え、足早に車に戻る親の後姿をみながら、相変わらずの冷静さぶりに感心する。

いったい、何でパニックになったり、感情が高ぶったりしないんだろう?

しかも、車に乗ったら、すぐに、パンと水を差し出す用意周到ぶり。一体全体、なんだってそんなに冷静で緻密に動くことができるんだろう。もしかしたら、ロボットなんじゃないか?

 

その夜は、薬のおかげで、朝までぐっすり眠れたボク。久しぶりに痛みを感じることなく、気分もさわやかな朝を迎えることができた。

★★来る日も、来る日も、「検査、結果」、「検査、結果」

翌朝、東京女子医大の受付で名前を伝えると、診察の前に、MRIをとってくるように言われる。「MRIって、なに? 昨日、CTとったばっかりだよ。また、電気を体にあてるの?」と、親の言う通り、

 

どうやら「人生初体験」の幕が開けたらしいことを悟った。

 

それにしても、奇妙な装置。音がうるさくて、頭にガンガン響く!

 

ずいぶん長い時間待たされて、ようやく診察が始まった。

優しそうな女医と対面したボクは、「えっ女医さん?」と、お世話になる人に対して、本当に失礼だが驚いてしまった。

東京女子医大なんだから、当たり前なのかもしれないが、これまで小児科以外で女医を見たことがなかったボクは、驚きを隠せなかった。

さらに、問題の箇所の説明が始まると、

「穴は、問題ではないですね。それよりも、ここに気になる影があるんです。もしかしたら、腫瘍かもしれないので、念のため検査をしましょう」と、その言葉を聞いた瞬間、思わず絶句する。

  

腫瘍???それって、ガンってこと???

 

そしてこれが、検査漬けの幕開けとなった。

来る日も、来る日も、「検査、結果」、「検査、結果」。

いったい、いつになったら原因がわかるんだろう。

 

症状は一向に良くならず、原因も特定できない。

足への負担を軽減するための松葉杖生活だが、1ヶ月を過ぎた頃から、足の感覚もなくなり、腰まで痛みが走るようになる。そして、ついに歩くことすら難しくなっていった。

 

腰の痛みを取り除くために、リハビリを取り入れることになった。

 

そうしているうちに、一人で、ベットから起き上がることもできなくなり、薬の効き目も徐々に短くなり、痛みとの戦いは夜中まで続くようになった。

 

悪夢で、何度も寝汗をかいては、目覚めるという回数も増えていった。

闇夜の中を彷徨い続ける、ボク。

いったい、この先どうなるんだろう。

もしかしたら、大学病院って、病気を治すところじゃないのかもしれない。

ただ単に、人間をモルモットのように研究に使う場所なんじゃないか?

 

「人体実験場」、何かの本で読んだ言葉が何度も頭の中で点滅している。

 

 

 ★★この激痛と、この先、一生涯つき合っていくしかない???

そんな疑問を持ち始めたある日。

医師から、「反射性交感神経性ジストロフィーという症状です。

 

しかし、現在の医学ではこれという治療法がない」という痛烈な一撃をくらう。

さらに、今年(当時)の難病認定リストに入る可能性が高い病気の一つだと、ありがたいお言葉が続く。

「今、なんて言った? 治療法がないって、どういうこと? 難病予定って、なんだし?」

ことの発端は、ただのケガ。「なんだって、そんな病気になるの。どうやったら治るの?」

 

この激痛と、この先、一生涯つき合っていくしかないって、いうこと?

それが、医者の決断?これまで、いろんな検査をしてきた結果?

あのさ、この痛み、知っててそんなこと、平気な顔して言っているわけ?

先生って、専門家だよね? 

その専門医が病気治せなかったら、誰が治せるんですか?

もっと真面目に勉強しろよ!

 

すげー、優しくて説明もわかりやすくて良い先生だけど、その時のボクは、この先生に、たくさんの罵声を浴びせたくなっていた。

口にしたい言葉が、次々と浮かんでは消え、また次の言葉が浮かぶ。

自分でも恐ろしいくらいに、罵声をいう自分が目の前にいるかのように感じた。

 

でも、ボクの口からでてきたのは、ごく普通の言葉だったー

「何か、方法はないんですか?」

「残念ながら、今はないの」——悔しさと冷静さの入り乱れた先生に、ボクは返す言葉が思い浮かばなかった。

2)宇宙人母の提案は、いつも「突然」で「想定外」

「反射性交感神経性ジストロフィー」・・・治療法がない難病。

ボクは、この難病と戦って一生を終わるのか・・・真っ暗な闇に誘い込まれ、絶望の淵に立たされた。

 

 

★★「局部注射」のあとは「ブロック注射」

「成長期のアプローチが、最も難しいとは思います。薬も人との相性があるので、とりあえず、この薬を飲んで様子を診ていきます。効果がなかったら、また他の薬に変えていきます。例えば、局部注射やブロック注射、手術という手段もあります。ただし、まだ、国内の事例が少ないのでリスクもあります」と、気持ちを切り替えて冷静に説明をする医師。

 

「少し、様子をみさせてください。できる限り、体に負担のないような治療をお願いします」と、相変わらずトーンを抑えた口調の親の返事。

 

「えっ、今、母さん何て言ったの?成長期だからこそ、さっさと手術して治してもらった方がいいんじゃないの?」

あんたたち、二人とも変だし。

ボクの体の痛みは、どうでもいいわけ?

自分の体が少しでもいたかったら、ぜーったいに、「ギャーギャー」わめくはずだし。

「他人のことだからさ、そんなのんきなこと言ってんだろ!」

ボクの予想通り、1ヶ月たっても一向によくならず、巨大な迷路に入ってしまった。

 

「思った通りだよな。のんきなこと言ってないで、早く良くなる治療始めてほしい!」

 

 というオーラをプンプンに発散して、定期診断を受ける。

 

初めの治療は、「局部注射」を打つこと。

 

大人の男の人でもその痛みに耐えられず泣く人も多いという説明をする医師。

ボクの激痛よりも痛い注射なんてないよ。と、心の中では思っていた。
案の定、体に“ずきんと重たい痛み”が走っただけだった。ほらね。

そして、残念ながら一向によくならなかった。

 

続いての提案は、「ブロック注射」を打つこと。

「この注射には同意書が必要です」と、手渡された同意書を読むと『研究目的』の治療だということを知り、愕然とする。

 

ボク、やっぱりネズミやモルモットと同じなんだ。

 

だんだん、人間とかけ離れていくように感じ始め、虚しさが漂ってきた。このころになると、本当に医者の言うことが信じられなくなり、「この注射をすれば、本当によくなるのか?」という強い疑問を感じ始めていた。

 

果たして、このブロック注射は、どの程度の効力を発揮してくれるのだろう。

 

そして、翌朝、ついに一人で、ベットから起き上がることができなくなってしまった。

予想通りの

  

『さ・い・あ・く・な、結果』だよ。

 

どんなに優れている医者でも、病気を治すことができない病があるということを、自分の健康と引き換えに知ることになる。たとえ確率が小さくても期待していた分、その落差は大きい。

 

自然と、目から涙がこぼれ落ちた。泣いている姿だけは、親に見られたくない。ベッドの中で、眠っているように、頭っから布団をかけて泣き続けた。

 

——くやしい。

——何なんだよ。
——どうなるんだよ。

「病は気からかぁ・・・」と、蚊のなくように小さな声だったが、ベットサイドに座っていた親のつぶやきを、ボクは聞き逃さなかった。

親も悩んでいるのか、でも、その声には力があったように思う。

そして、この出来事を境に、親の態度がどんどんエスカレートしていった。

 

 

★★「突然ですが、東洋医学へ移らせてください!」

「先生、次回から、東洋医学へ移らせてもらいたいのですが、紹介状を書いていただけますか?」

  

この時期を待っていたかのように、西洋医学との別れを告げる親——。

 

「えー、まじ? そんな話、ちっとも、してなかったじゃん!」

 

ボク、そんな所、行きたくないよ。鍼とかお灸とか、おばあちゃんとか、おじいちゃんがやるもんでしょ? なんで、ボクがやんなきゃならないんだよ・・・どんどん周りの患者が、年寄りばっかのところになるじゃん。もう、イヤだよ・・・。

 

なんだかこのままでいくとうちの親、突然、「われわれは宇宙人である。『地球の常識、宇宙の非常識』とかなんとか言い出して、だから問題ない」なんて言い出すんじゃないか・・・

 おれは、やっぱりモルモットなのか?

 

医師から名前を呼ばれて、診療室に入って、びっくり!

 

えっ? おじいちゃん先生じゃないの? なんで、こんな若い女の医師がこんなとこにいるの?

 

医師はボクの期待を裏切って、人体図をみながら、治療の方法やアプローチの仕方、実際に使う器具などを示しながら、一つ一つ丁寧に教えてくれる。

しかも、ボクの1番の不安要素である、痛さ、熱さ、治療によって起こりうる症状など、ボクの気持ちを察してくれたかのように、丁寧に説明をしてくれた。

 

スゲー、この医師も親切、しかも説明もわかりやすい! この医師に任せておけば、治るかも!

 

だが、そんな気持ちは、ロビーの高年齢の患者集団を前に、もろくも崩れる。

あーあ。。。おじいちゃんばっか・・・しばらく、ここに通うのかぁ。この頃のボクは、すぐに気持ちが萎えるようにもなっていった。

 

2週間ほどの通院を続けたある夜。またしても、親の爆弾が投下された。

 

「あのさ。せっかく東洋医学でお世話になっているんだから、薬飲むのやめたほうがいいと思うんだけど? ちょっとの間、やめてみない?」

 

食後に薬を飲んでいるボクは、思わずむせこんでしまった。

 

「そんなムチャでしょ? じゃぁ、痛くなったらどーするの? 母さんは、この激痛とか、だるさとか知らないから、そんなこと言えるんじゃない? どんなに大変か体験してみたらいいよ」

 

「いいけどさ。薬やめたら、ボクの体の痛みとか、違和感とかよくなるの?」

 

「必ず良くなるよ。もう少し時間がかかるかもしれないけどね」と、いともあっさり答える親。

 

「整形外科の先生に、相談したの?」

 

「してないよ」。

 

「じゃぁ、東洋医学の先生には?」

 

「してないよ」。

 

「じゃぁ、『誰が、薬飲むのやめる』って決めたの?」。

 

「わたし」

 

「えーーーー! うそでしょ? なんで?」

 

「だから、今、説明したじゃん。体も軽くなるよ。まぁ、ここまできたら、自分の細胞の力を信じてみない?」

 

「それってさ、わが子だからするの? 無責任な言い方にしか聞こえないんだけど」

 

「ケイタだからするんだよ。他の人にはできないからね。ただ、東洋のほうが、やっぱり調子がよさそうだからさ。いっそのこと、東洋一本にするほうが良いかなって思ったんだもん。自分の体の中に眠っている元気な細胞を活性化させる。ついでにね、体に負担をかけている化学物質食品を食べるのもやめとこね」

 

そして、目の前に差し出された料理の本「体においしい『和粗食』のすすめ」と「味秘伝」。

いかにも使い古されたこの2冊は、実は、ボクが生まれた時に「アトピーになる可能性が高い」と医師から言われて、根治療法のために買い揃えた本だと説明を受ける。

「この本に書かれてある食事を積極的にとっていくことにしようね。だから、しばらくは洋食お預けだね。まずは、細胞を元気にしてあげようね」

 

と、親の爆弾宣言に衝撃を受けながら、ボクは迷った。

親の宣言に従うべきか、このまま医者に頼るか。

 

  

★★不思議なことにどんどん体が軽くなっていく

ただ、あの日以来、親の態度が一変している。

明らかに“何か”が、ちがう。

 

親は、親なりにいろんなことを調べ、そしてボクのことを本気で考えてくれていることもわかった。

呼吸法やストレッチ、そして食事の見直しなど、

 

親の熱意と眼力の強さに圧倒されながらも、「やっぱり、数日間、自分なりに考えたい」と、

絞り出すのが精いっぱいだった。

 

ボクは、これまでの日々をゆっくりと思い返すことにした。

 

けがをした日のこと。

 

時々襲ってくる「死」の恐怖。

 

いったい、どれだけの日々をボクは、何もせずに過ごしてきたのだろう。

 

親から勧められた本を読み、勉強をしていても、何一つ頭に入いらない。

ただ、書かれてある文字を追うだけ——。

 

この間にも、友人たちは、どんどんと学力も体力もつき、楽しい時間も過ごしている。

——それなのに、ボクは、何をしているんだ?

 

——本当にこのままで良いのだろうか?

 

——どうなってしまうんだろう・・・

 

季節は、着実に流れる。

真夏だったあの日から、

風景も変わった。

着る服も変わった。

食卓にあがる食材も変わった。

 

だけど、ボクの症状だけは変わらない。むしろ、悪くなっているのかもしれない。

 

いつまで海底のどん底生活が続くんだろう。

ただただ、毎日、見えない場所を右往左往にうろうろしているだけ。

 

『明日こそは、よくなっていてほしい。悪夢を見ていたかのように、晴れやかな気持ちで目覚めさせてください。軽々と動かせるような体に戻っていてください』

 

何度、この呪文を唱えながら、眠りについたことだろう。

ボクだって、こんな生活、これ以上1日だって続けたくないよ。

 

「病は気からー」 

あの日、親が小さな、小さな声でつぶやいた言葉が浮かんだ。

 

そして、ボクは、自分の持っている力を元気にするアプローチにチャレンジをすることを決めた。

 

薬を飲むことをピタッとやめ、小麦製品、化学物質を一切口にすることをやめた。

 

じーっとしていたって、海面へは行くことができない。

何か、アクションを起こさなければ!

 

1週間、2週間・・・、不思議なことにどんどん体が軽くなっていくのがわかった。

 

少しずつ、関節がスムーズに動くようにストレッチも始めた。体のバランスを取り戻せるように体の動かし方にも意識をし始めた。

 

「あのさ、『もう、病院行かなくていいかも』って思うんだけど、ケイタはどう思う?」

  

いつもながらに、あまりの突然の質問に、思わず口から出たのは素っ頓狂な声の疑問の数々。

「はぁ~? 西洋の次は東洋。東洋の次は薬をやめて食事も変えた。そして、今度は、病院に行かなくていい? な、なんなのそれ? いったい、どこからそんな情報を仕入れてくるの?」

 

どうしてこうも、

 

次から次へと「奇想天外な提案」しかしないんだろう。

この時ばかりは、「呆れる」を通り越して、彼女の頭の中を覗いてみたくなった、ボク。

3)難病患者にスキーを勧める宇宙人母

 ★★スキーで釣って、体力づくりをそそのかす

「あっという間に、もう12月になっちゃったってカレンダー眺めてたの」

「カレンダー? なんで12月だったら、病院行かないになるわけ?」

「そろそろ体力作り始めなきゃいけないから、病院行く暇ないなぁってね、思ったの」

「はー、何言ってんの? 体力作りって、春から夏にかけてするもんだよ。これからますます寒くなる12月から体力作り始めるって、聴いたことないよ。動物だって冬眠するんだよ。しかも、今まで、ほとんど体うごかしてないんだから、急に体力作りを始めたら、それこそ体が悲鳴あげるでしょ?」

「ケイタは、この状態のまま大好きなスキーもせずに、春までベッドの中の生活続けるつもりじゃないよね、って疑問が浮かんできたわけ」

「今、なんて言った? スキー??? 頭おかしいんじゃないの? できるわけないじゃん! なんで突然スキーの話になるわけ?」

「残念ながら白馬のスキーって、冬しかできないでしょ? 今のままの生活だと、体力がないからスキーをやりたくても出来ないじゃないのかなぁって、心配になってきたの。せっかくのシーズンを棒に振ったらもったいないじゃん?」

「出ました、お得意の『もったいない!』」

ボクは、半ば親をバカにするように返した。

でも、そんなことは想定内かのごとく、親の話は続いた。

「だから、そろそろスキーができるように体力づくりを始めることが必要なんじゃないのかなぁって。これでも、ケイタのことを心配しているんだけど・・・だって、家にいてもつまんないでしょ?」

「スキーなんて、無理に決まってるじゃん! だって、体、ぜんぜん動かしてないだよ」

「スキーができるようにするためには、何をすればいいの?」

「体幹と筋力鍛えながら、もう少しストレッチも取り入れて体力をつけることと、食欲をあげることかな。そしたら行ける」

「その体力や食力を上げるために、今日からできることはなーに?」

「ストレッチの内容を変えて、体幹と筋力をつけることを意識しながら、少し長い距離を歩いたりならできると思う」    

——ボクは、スキーに行きたい!

——あの一面白一色。

——空は、深いブルー

——キンキンに冷えている風。

——空気も水も、食べ物も、すべてが最高の環境が整っている!

——山のてっぺんから、一気に滑り降りるあの快感も!

——自分の思う通りに板と体が一体になった時の、あの満足感も!

★★ボクの心に闘争心が芽生えた

でも、実は、ボクは寒いのが大嫌い。

だから、本当は、「冬なんて来なきゃいい」って、いつも思っている。

でも、そんなボクが、スキーにのめり込んでいったのは、こうした環境に加え、何と言っても現地の良き人たちとの楽しい時間がもてるから。

優しさと厳しさとを兼ね備えた、大地のような人々。    

それは、自然と隣り合わせで生活をしている彼らだからこその優しさであり、厳しさだ。

都会の人からは決して感じることはできない。

何度も落ちた、スキー検定2級。

あまりのショックで、荷物の重みがいつも以上に肩に食い込むのを感じながら、スキー場から宿まで歩いて帰った。あの時は、日頃の優しさは微塵も感じられなかった。

でも、厳しい態度で接してもらったおかげで、ボクの心に闘争心が芽生えた。

ぬるま湯で育ってきたボクの中に力強い精神力を育んでくれたのは宿主の中村さんご夫婦、ボクにとっては、第二の親でもある。

彼たちがいたからこそ、スキーを続けることができた。

そして、知らず知らずのうちに、「もっと上手くなりたい!」と思うようにもなっていった。

——やっぱり、そうなんだ!

——ボクは、スキーに行きたい!

——行くことができるんなら、多少きつくたって体力をつけることにチャレンジしてみたい!

「ボク、学校に行けそうだよ! 駅まで、走ってみたら走れた!」

軽くなった自分の体の動きを確かめたくて全力疾走をしてみた。

まるで、オープンカーにでも乗っているかのように、風景の動きが早かった。久しぶりに、気分は爽快だった。

「あら、よかった!」と、意外とあっさりとした親の返事だったが、安心している様子が伝わって来る。やっぱり心配しているんだよな。

 ★★「生きていれば、いくらだって勉強もスポーツもできる」    

あの親の宣言の日以来、ボクはピタッと病院通いもやめた。

その代わりに、晴れていようが雨が降ろうが、1日1回は外に出かけるようになった。

1km、1.5kmと、歩く距離を延ばしながら、同時に、歩く速度も少しずつ速め、小走りやスキップもメニューに加える。帰ってきてからは、硬くなっていた体をほぐしながら、少しずつ体幹を鍛えられるようなストレッチも取り入れた。

半年前、あんなに激痛がひどくて、ベッドの中でもがいていたのが信じられない。

そして、1ヶ月間の自主トレの結果、猛ダッシュで走ることもできるようになった。

不思議なことに、体力が戻ってくると学校へ行く自信も戻った。

勉強には、ついていけない。

でも、一人で勉強するよりも、やっぱり、友達と一緒に学びたい。

毎日、くだらない話でもいいから、思う存分話をしたい。

学校に行く前日の夜。

「なんで、もっと早くに教えてくれなかったの?」と、これまでの疑問を投げてみた。

「なんの話?」と、とぼけた返事。

「自主トレのことだよ。こんなに早く痛みから解放されるんなら、もっと早くやりたかった」

「そりゃー無理だわ。1つずつやってみて、良し悪しを見ながら進めないとね。しかも、目に見えない病だからよくわかんないし。でも、病気の原因が『気』だから、その流れをよくする『細胞くん』を元通りの姿に戻してあげるための『食べ物』を食べて、『運動』して、『勉強』したら治るんじゃない?って思ったのよ。そもそも、赤ちゃんの時は元気だったんだからね。母さんもとってもいい勉強になりました」と、笑いながら返事がきた。

予想外の答えに、    

「人の体で、実験してたの? どんなに辛かったと思ってんの? まったく!」と、あきれながらも、どうしても聞きたいことをこの際、聞いてみようと決心した。

「あのさ、前から聞きたかったんだけど、

もしかしたら、母さんって、本当に『われわれは宇宙人である。『地球の常識、宇宙の非常識』って、考えているんじゃないよね?』と、ボクなりに真剣に聞いてみた。

 ところが、返ってきたのは、ほんの一瞬、驚いた顔をして、次の瞬間お腹を抱えて、涙まで流し始めた親の姿だった。

「そ、そんなこと、まじめにケイタは考えていたの?」と、まだ笑い足りなかったらしい。

大笑いしている。

落ち着いた頃、どんな思いで、これまで取り組んできたかを教えてくれた。
自分が、どれだけ無謀なチャレンジをしているのかー、ということも。

実は、親が何よりも一番悩んだことは、「神経の誤作動」は、どのように起こったのか、その原因はどこにあるのか、最新医学でも誰にもわからないということだった。

西洋アプローチに辛さを我慢しているボクを見て、親も、涙を流していたこと。

東洋アプローチに変えても、「生きるパワー」が、どんどん減退していくボクを見て、親として、心理士として何が足りないのか、今は亡きS先生にもずいぶん相談にのっていただいていたこと。

 しかし、何をやっても、一向に良くなる気配が感じられず、季節だけが過ぎていってしまう焦り。目の前にいるボクは、「生きている」ことを手放し「死へ進んでいく」ほうが、強く感じられるようになっていく。それをただ見ている自分が親として辛く、心理士として情けなかったということをー    

そして、たどり着いた答えが、「生きていれば、いくらだって勉強もスポーツもできる」という当たり前といえば、当たり前のことだった。

とにかく、1日1秒でもいい「生きることが楽しい!」と、思えるような時間を過ごせるように、今、自分ができることを改めて考え直した結果「スキーのことだけを一点集中させるアプローチ」に、最後の望みをかけたこと。

なぜならば、スキーはボクの人生そのものだったから。

 親の話を聞きながら、ボクの心が、ほんのりと温かくなるのを感じた。そして、さっきまで本気で『宇宙人』だと思っていた目の前の人は、ボクにとって唯一の親だということを確信した。    

★★スキー1級、一発合格!

親に内緒で検定を受けた。

理由の一つが、親との約束だ。

「この学校の生徒の中で誰にも負けない『1番になれるもの』を見つけて卒業までに成すこと」

スキー1級検定の合格率は20%(白馬さのさかの場合)という、がんばればとれる確率だ。

でも、不安がないわけではない。

一番のネックは、検定を終えるまで、果たしてボクの体力がもつかということー 

厳しい現実が、目の前にそびえ立つ。

でも、コンディションはよかった。

コーチからの教えに、体が素直に反応している。無駄なところに力が入っていない。

ダメでもいい。とにかく今の自分の力を試してみたかった。

 病が治った証として、無謀と言われようが、自分の一番得意なことでチャレンジをしたかった。    

これまで8年以上通い続け、白馬さのさかの全コーチから丁寧に教えてもらったことを、この1発勝負にかけたかった。

 これ以上、悔いは残したくなかった。後で後悔しないように、とにかく自分の悪い癖がでないように注意をしながら、体が硬くならないことだけを祈り、目の前のバーンに集中をした。    

検定が終わった。

恐る恐る、結果を聞きに行った。

受付に行くと、検定員といつも教えてもらっているコーチの二人が、にこにこ顔でボクを迎えてくれた。

まさか?

まったく、自信はなかった。    

「合格、おめでとう!」「よかったね」 

   

二人からお祝いの言葉を聞いて、ものすごく嬉しかった。

2級は、何度も落ちた。

なのに、1級は1発合格できた!

「母さん、1級受かったよー! 約束、果たしたぞー!!!」

「でかしたー!やっぱり、君は母さんの自慢の息子だー。やっほーい!!!中村さんご夫婦、コーチのみなさんにも、くれぐれもよろしく伝えてよー」。 

よかった。電話の向こうで、親が大喜びしているー

半年以上、もがき苦しみ、何度も生きている意味、生き続けることの必要性を考え続けてきた。

原因不明、治療法なし——。

行き先も、出口もない闇の中を、何ヶ月間もの間、さまよい続けたボクの奇妙な病を治したのは、西洋でも東洋アプローチでもない、

最後は『宇宙人アプローチ』をしたボクの親だ!

その親が、大はしゃぎをしながら喜んでいる。きっと、今頃は涙を流しているだろうな。泣き虫だからな。

親の喜びの声を聞いて、ボクも嬉しさがこみ上げてきた。

「あー、ようやく、長い長いトンネルから抜け出すことができたんだ」。そう思ったとたん、うれし涙が次々と流れ出てきた。

著者:Keita Kawasaki (from STORYS.JP)

[続き]落ちこぼれボク、グランプリ受賞までのキセキ!〜異星人ボクと宇宙人母さん〜 挑戦編

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