【特集】「もどかしさ」の正体、佐川氏の素顔

真相解明の行方(1)

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国会の証人喚問でさまざまな表情を見せる佐川宣寿前理財局長

 学校法人「森友学園」への国有地取引に関する決裁文書改ざん問題。27日、財務省の前理財局長、佐川宣寿氏の証人喚問を国会の記者席で4時間余り聞いた。あれから3日たったが、もやもやした違和感が消えない。「刑事訴追の恐れ」を連発して改ざんの経緯について証言を拒んだ佐川氏の落ち着かない視線、矛盾を詰め切れない野党の追及。すごく単純な図式であろうに事件の核心に迫れない、このもどかしさは何なのか。昨年来の森友問題を振り返った。(共同通信=柴田友明)

 ▽「私だったら話す」

 森友学園前理事長、籠池泰典被告の証人喚問は昨年3月23日に行われた。当時国会で補佐人を務めた山口貴士弁護士は今回の喚問について次のようにコメントした。

 「佐川氏が証言を拒否することは想定されていた。議員が自ら意見表明をしたり、感想を押しつけても仕方がない。事件の核心に証言拒絶されたとしても、証言を拒めない『外堀』から詰めていく地道な聞き方があったはずだ」「国会答弁の対応に手慣れた元官僚なのだから、曖昧な言葉を使えば、都合の良い解釈で逃げられるような証言をする。厳密な言葉つかいで一問一答を重ね、後につながるような事実関係を聞き出す尋問をすべきだった。それが(国民が知りたい)真相に迫る手法だ。追及する議員の能力と技量も問われた」

 前愛媛県知事の加戸守行氏は、佐川氏喚問後の電話取材にきっぱりと答えた。「私だったらすべて話す」。加計学園(岡山理科大獣医学部)の愛媛誘致を進める立場から加戸氏はゆがめられた行政がただされたと昨年国会で発言。行政がゆがめられたと告発した前文部科学省次官の前川喜平氏とは正反対のスタンスで注目された。

 当時、筆者のインタビューに文科省OBとして官僚の在り方論を語ってくれた。「部下の責任、行為が問われるかもしれない。しかし、いずれ捜査が進めば分かる話だ。私だったら事実を話す」。加計学園問題では安倍首相サイドに立った加戸氏の単純明快な論法を聞くと、なぜか少しほっとした。

 ▽佐川氏の横顔

 東日本大震災後の2012年、佐川氏は発足した復興庁に審議官として出向している。共に働いた、ある省庁幹部は「激務をこなしていたが…以前からあんな感じの対応をする人だった」とテレビで見たかたくなな姿勢をそう評した。福島県いわき市出身の佐川氏から被災地への個人的な思いを聞いたことはなかったという。苦労して東大に進学、きちょうめんで部下には厳しい。筆者が聞いた知人の話では佐川氏の人間像はあまり見えてこない。

 13年に大阪国税局長に就任した際、日刊工業新聞(13年8月1日)が報じた「横顔」記事は、多少素顔が感じられた。

 「印象に残るこれまでの仕事は、バブル崩壊後の金融破綻処理…直近では東日本大震災からの復興支援。被災地出身の立場で『震災の復興に関わり日本国民のため無我夢中だった』『事務処理や創意工夫してパフォーマンスを維持しつつ、世の中の変化に柔軟に対応したい』。座右の銘は『平常心と誠実』で仕事に取り組んでいく。休日は頭を真っ白にして関西の歴史・文化施設などを散策したい」。

 証人喚問では自らの感情を押し殺したようなやりとりもあった。

 与党議員から上からの指示で改ざんしたとのメモを残して自殺した近畿財務局の男性職員についてどう感じているか問われ、佐川氏は「亡くなった経緯などは一切承知しておりません」と早口でまくしたてた。議場では驚きとも、ため息とも取れるような声が聞かれた。

 刑事訴追とは全く関係ない質問に遺族への思いやりの言葉もすぐ出てこなかった佐川氏の心理を考えた。元々そういう思いが希薄だったのか。証言拒否と安倍首相ら上の関与を否定するという論法にとらわれ余裕がなかったのか。

  ×  ×  ×

 1年前、籠池泰典被告は国会での証人喚問を終えて、都内で会見していた。「神風が吹いた。見えない力が働いた」。国有地売却の経緯や安倍昭恵夫人との関係について声高に説明している最中、筆者の携帯が鳴った。着信を見て驚いた。少し前に電話した昭恵夫人付きの谷査恵子氏からだった。その日、籠池被告が配布した資料には、谷氏自身の携帯番号が記載されていた。紙を得た記者ならだれもが彼女に連絡するだろう。会見場から飛び出して電話に出たがすでに切れていた。以後、連絡は取れていない。森友問題「もどかしさ」の始まりだった。

2014年4月に大阪府豊中市の小学校建設予定地で撮影したとされる、籠池夫妻(左右)と安倍昭恵夫人(中央)=著述家・菅野完氏提供
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