【入船鋼材が創業65年】酸洗鋼板流通のパイオニア 「道を切り拓く」が創業精神

 検索サイトに「酸洗鋼板」と記入すると、最初に「酸洗の入船」が登場する。酸洗鋼板流通のパイオニアである入船鋼材(本社・東京都中央区八丁堀)が創業65年の節目を迎え、その思いを市野勝昌社長(CEO)に聞くとともに軌跡を振り返る。

 「酸洗鋼板」は、今や自動車や電機、建材、機械部品向けなど幅広い用途で使われ、製鉄メーカーの製品アイテムでも熱延黒皮、冷延、表面処理と並ぶ薄板代表品種のひとつとしての地位を固める。

 その足掛かりをつくったのが入船鋼材であり、創業者・故市野壽一氏(いちの・としかず、享年86歳)のパイオニア精神である。「酸洗」の市場認知度の高まりと用途拡大の経緯は、入船鋼材65年の歴史そのものだ。

中間品だった「酸洗」

 市野壽一氏は終戦後、親戚が経営する鉄鋼二次製品問屋に奉公するが、朝鮮特需後の反動不況の影響で奉公先が倒産したため1953(昭和28)年4月、東京・入船町で独立。社員1人、机ひとつだった。ここから起算して65年を迎える。

 はじめはトタン板や釘、針金などをリヤカーに積んで売り歩き「その日の食いぶちをその日に稼ぐ」のが精いっぱいだったが、それでも実直な商売で信用を集め、業容も徐々に安定。神武景気のはじまりとともに、取り扱い品種も条鋼・丸棒や鋼板類など一次製品にシフトさせる。

 この頃、のちに丸紅と合併する浅野物産を窓口に日本鋼管(NKK、現JFEスチール)製の鋼材を取り扱うようになる。福山製鉄所の稼働に伴い「日本鋼管の特約店」として関係を強めていく。

 福山製鉄所では冷延鋼板の生産を開始するが、その前工程として酸洗が行われる。熱延黒皮コイルの表面スケールを塩酸に浸して除去(酸洗い)した状態が「酸洗鋼板」だが、冷間圧延工程に送る前の、いわば「中間品」であり、当時のマーケットはもちろん、メーカーでさえ「製品」として認知していなかった。

「専業になる」と決断

 市野壽一氏はここに眼をつけた。実際にカットシートをプレス工場に持ち込み加工試作した結果、その優れた加工性に現場の評判も高く「これはイケる!」との手応えをつかむ。以降、酸洗鋼板を徐々に取り扱い始め、売り先開拓に力を注いでいた矢先、福山で試作段階の酸洗コイルの二級品約2千トンが発生。これを入船鋼材がすべて引き取り完売した。

 この過程で酸洗の市場リサーチと需要家ニーズをつかみ、キャリアとノウハウも積んだ。〝売る〟ことへの自信もついた。これを契機に「酸洗の販売に専念する」ことを決意する。

 「専業」になることへの迷いや悩みは相当だったし、その分、覚悟も並大抵じゃなかったが「誰もが扱う商材だけでは競合先との販売競争が激しく、差異化も図りづらい。そのなかで存在感を高め、生き残っていくには他社と同じことをせず、新しい分野に挑戦して『道』を切り拓いていく必要がある。そして始めたからには中途半端で投げ出さず、軌道に乗るまでやり遂げなければならない」。

 〝酸洗でメシを食っていくんだ〟との強い信念のもと自動車部品メーカーやその下請け・協力企業に酸洗鋼板を積極的に売り込み、評判を得ると次は電機や建材分野にもアピール。取引先を広げていった。コストパフォーマンスの良さが認められて冷延からの代替も進み、酸化被膜が出ないことがメリットだと認知され熱延市場でのシェアも伸ばしていく。

加工進出、レベラー設置

 1993(平成5)年。創業40周年を迎え、市野壽一氏も70歳となった。この節目に、経営のバトンを長男の勝昌氏に託すことになる。市野勝昌氏は当時36歳。若き2代目は、バブル崩壊後の厳しい船出となったが、財務体質改善によって「守り」を固めつつ、持ち前の明るさとバイタリティで酸洗鋼板の取引量を増やすべく販売促進に向けた「攻め」の姿勢も忘れなかった。

 97年5月に本社を現在地に移し、それまでの2フロアをワンフロアにして業務を効率化。99年2月には素材販売業としていち早く品質ISO認証を取得した。その翌年には浦安第1鉄鋼団地内に自社倉庫を取得。在庫ラインナップを拡充するとともに01年、02年にはシャーリングマシンやレーザ加工機も設置し、加工分野にも進出する。外注委託分の内製化によって付加価値を高め、顧客サービスを充実させた。

 その後もネジ切り設備やバリ取り機を導入して加工拡充の流れを加速させる。05年1月には浦安第1鉄鋼団地内に事業拠点を賃借し、コイルセンター事業に進出した。長く取引関係にあった山黒鋼業(亀戸)の事業撤退に伴い、大型レベラーラインを買い取って改良・補強したうえで移設。原コイルからの一貫加工体制を整えた。

 同年11月には関西地区における事業基盤強化を目的に「大阪営業所」を開設。関西圏の既存ユーザーへのきめこまかな地場密着サービスを展開し、顧客満足度を高めている。

「社員の幸福」第一に/グループ一丸で顧客サービス徹底

/狼集団「イルフ」

 07年5月にはシャーリング子会社「静岡入船鋼材」(静岡市駿河区)を設立した。同エリアの取引先が経営難に陥ったことを受け、その事業・商権を引き継ぐ形で子会社化。東海地区での基盤強化につなげている。同年12月には、社員の経営参画意識の醸成を目的に「従業員持ち株会」を設立している。

 この間に入船鋼材は創業50周年を迎える。この節目に企業イメージキャラクター「イルフ」を制作した。『イリフネウルフ』の略だが「よく聞こえる耳とよく利く鼻を持ち、家族愛にあふれ、群れで行動する」という狼(ウルフ)の特性になぞらえ「顧客(市場)ニーズをいち早く察知し、チームワークで団結し、すぐ行動する集団」との思いを込めた。

 これら事業領域の拡充に向けた「攻め」の経営が時代の流れとも合致し、08年4月に55周年を迎えたときには売上高が90億円を超え、2000年度の50億円未満をボトムに9期連続増収を果たした。従業員数も子会社を含めて約70人を数えた。

タイ進出、板金事業も

 08年秋のリーマンショック後の世界同時不況の影響で入船鋼材も多大な損失を被る。その額は五指に余る規模となり、売上高100億円突破を目前に急ブレーキがかかった。 しかし、そこでめげないのが〝元気印〟市野社長の真骨頂だ。この逆境をバネに「かつてないほどの強靭な企業体質に生まれ変わる」として、身の丈に合った資産圧縮と能力見合いの設備廃棄・適正化を加速させ、変革に取り組んだ。

 「ダウンサイズ・アップグレード」に向け事業再構築を実践しつつ09年4月には「北海道営業所」(北広島市)を開設。さらには12年7月にタイのバンコクに駐在員事務所を設置した。世界同時不況の傷跡も徐々に癒え、再び底堅く発展しようとするアジア市場への足掛かりをつけた。

 FS(事業化可否調査)を経て14年3月に子会社「イリフネスチール(タイランド)」を立ち上げ、同年10月に操業を開始。レーザとシャーを導入し、伸びゆくアセアン市場で酸洗など薄中板の加工販売に着手した。

 目下はインフラ整備や建機などの需要が旺盛だ。現地では地道に拡販活動を展開しており、レーザ加工については24時間フル操業下にある。

 16年1月には、民事再生申請した板金業の「宮沢工業」(群馬県高崎市)を子会社化し、グループとして素材販売・加工から折り曲げ、プレス、溶接・組立までの一貫体制を構築(2面参照)。17年2月には取引関係にあった運送業者の事業を引き継ぎ、運送子会社「入船ロジスティクス」を設立した。昨今の物流ネックの状況下で自前の運送機能を持つことは大きな武器となる。

「100年企業」への通過点

 そして迎えた創業65周年。入船鋼材はリーマンショック後の経営悪化を立て直し、再び成長軌道に乗せた。本隊と子会社群によるグループを形成。売上規模は目下、最盛期に追いつく勢いにあり、グループ総勢で110人規模となっている。

 遡って2010年5月。世のマーケットに酸洗鋼板の存在を知らしめるきっかけをつくった第一人者にして入船鋼材創業者の市野壽一氏が86歳の生涯を閉じた。当時はまだリーマンショック後の傷跡を引きずっていた時期だけに「精神的支柱」を失ったダメージは大きかったが、市野社長のリーダーシップのもと「独自の道を模索し『他が歩む道は自分の道ではない』ということが商人の、そして入船鋼材の道である」との創業者精神を「イリフネ魂」として全社員が心の根っこに宿らせた。それを求心力に「1人ひとりが『何のため』に存在するのか」を熟慮し、行動に移すことで難局を打破した。

 創業65年を迎えた入船鋼材が「酸洗の入船」になって50年。節目ではあるが、市野社長がめざす「100年企業」への通過点でもある。「開拓者精神」と「挑戦意欲」をDNAとし、どん底から這い上がって頂点に立とうと全社員が一丸となった入船鋼材グループの新たな成長ストーリーが、きょうからまた始まる。最近では「健康経営」にも積極的だ。「社員の幸福」を経営の基本とし、健康優良企業をめざしている。(太田 一郎)

市野勝昌社長(CEO)に聞く/素材販売から加工・組立まで/酸洗の「ワンストップ機能」充実

――節目を迎えて。

 「メーカーさん、商社さん、お客様や同業者をはじめとする取引先各位のご支援ご指導はもちろん、苦楽を共にしてきた先輩諸氏や現役社員の協力と頑張りがあってこそ。心から感謝申し上げます」

――リーマンショック後の世界同時不況を境に、それまでの絶好調から一転しました。

 「あの時は『奈落に落ちた』思いでした。それまでの稼ぎがすべて無くなり、さらにマイナスが広がっていく。それでも生き残るために利益の出せる体質づくりを急がなければと躍起になったことを覚えています。幸い、社員たちが頑張ってくれたし、その頑張りをメーカー、商社、ユーザー、金融機関などすべての関係先が理解し、応援して下さった」

 「私自身も需要環境は必ず力強さを取り戻すと信じ、その時までに強靭かつ柔軟な体制に再構築しなければと強い意志で再建に取り組みました。そういう時期を乗り越えて今日を迎えられたことを嬉しく思っています」

――最近は新たな子会社の立ち上げや海外進出など再び「勢い」が増しています。

 「振り返れば酸洗鋼板の販売から始まり、自社倉庫の開設、シャーリングやレーザによる加工事業やレベラーライン導入によるコイルセンター事業に進出し、最近では顧客ニーズの多様化に合わせてプレス、ベンダー、溶接・組立なども始めました。海外化もそうだし、物流事業への参入もそのひとつです」

 「ただし、これらはただ単に会社の規模を大きくするのが目的ではなく、マーケットの必要に迫られ、うちが存在感を発揮するうえで避けて通れないと判断した結果。中身を濃くするためにヨコに拡げるのではなくタテに深掘りしました。『素材から加工そして組立部品までグループとしてワンストップサービス提供できる酸洗の入船』を充実させます」

――4月からまた新たなスタートです。

 「これを機に、ファミリービジネスの良さを強みに何事も長期視点に立って挑戦していきたいと考えています。65周年は『100年企業』へのマイルストーン。企業理念に掲げた『社員の幸福』を念頭に、お客様のお役に立つことを至上命題としてグループ一体・社員一丸で力を合わせてまいります。会社も社員も〝健康経営〟がモットーです」

社員の健康が重要な経営資源/「健康経営」を実践

 入船鋼材グループでは健康優良企業をめざし「健康経営」に取り組んでいる。

 健康経営とは、社員の健康維持・増進が重要な経営資源つまり企業の持続的成長につながるとの経営的視点に立ち、社員の健康管理を経営戦略に基づいて実践するしくみを企業内に構築すること。

 同社は昨年夏に「健康企業宣言」し、健康に関する社員の悩みなどに関して、委託契約先の専門家に相談できる体制を整えている。

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