【特集】隠蔽、改ざん招く「組織の愚かさ」 首相答弁への「忖度」(2)

イラクに派遣された陸上自衛隊の隊員たち=2004年2月、サマワ郊外

 今度は陸上自衛隊がイラクに派遣された活動記録(日報)の隠蔽問題だ。決裁文書が改ざんされた森友問題、首相の「腹心の友」がトップを務める学園の獣医学部設置に文科省前次官が異を唱えた加計問題。それぞれ根は同じではないか。「非戦闘地域」と国会で説明されたが、実際は戦地派遣だった。陸自宿営地への迫撃弾攻撃は何度もあった。現実とかけ離れた国会答弁の矛盾は、日報の記述を丹念に追えば誰の目にも明らかだろう。記録をオープンにしないで組織の保身を図る。事実に目をつぶり、虚偽の答弁に合わせる。それを当たり前のように行い続ける国の組織はもはや根腐れている。今回はイラク派遣の事例を挙げながら論じたい。(共同通信=柴田友明)

 ▽「非戦闘地域」を演出

 イラク南部サマワで陸自隊員たちがタンク車にホースで飲料水を注ぐ光景が今月4日、NHKなど各テレビ局で放映された。14年前の2004年、イラク特措法に基づき陸自が給水活動を始めたシーンだ。日報問題のニュースに使われた資料映像を見て、筆者もその現場にいたことを鮮烈に思い出した。2カ月間、イラク・クウェート国境、宿営地が置かれたサマワ、イラク戦争に参加した各国の駐留地、住民の暮らし、荒れ果てた文化遺産など現地の通訳と共に取材して回った。

 サマワ郊外の陸自宿営地はさながら戦国時代の砦(とりで)だった。1キロ四方の土塁を築き、最初のゲートから中心部まで行くのに40分はかかった。乗用車によるテロ攻撃に備えて、道はジグザグに曲がり、コンクリート塀が行く手を阻んだ。途中で車を降りて武器の携行がないか、隊員によるボディタッチを受けなければならなかった。他社の女性カメラマンが「ちょっと触らないでよ!」と男性隊員に息巻いているのを妙に覚えている。

 人道復興支援の名の下に、陸自は医療、給水活動を担った。しかし、多くの人は誤解しているが、あくまで住民への「間接」支援だった。医療支援はイラク人医師への技術アドバイスが中心であり、給水活動は川の水を浄化して、イラク人が運転するタンク車に補給することだった。

 なぜか。「自衛隊が活動するのは非戦闘地域」(当時の小泉純一郎首相答弁)という言葉どおりに、防衛省・自衛隊が演出しようとしていたからだ。武器使用のリスクを可能な限り排除する必要があった。

 ▽イラク人の手記

 サマワは「銃社会」でもあった。銃器販売店、製造工場も市街地にあった。冠婚葬祭のセレモニーとして天に向けて発砲する慣習があるほど、住民にとって銃は身近なものだった。陸自はテロ警戒だけでなく、住民との無用な摩擦を何としても避けたかったはずだ。

 06年7月に陸自は撤収した。この時、共同通信サマワ臨時支局のイラク人通信員が手記を書いた。「好意と反感、複雑な思い イラク人通信員が手記」(06年7月17日)というタイトルで共同通信は配信している。陸自の一連の活動が現地のイラク人の目にどう映ったか、とてもよく実態が分かる記事だと思える。抜粋して紹介したい。

 「10年後に陸自の活動を振り返れば、私の胸には日本への好意と反感が入り交じった二つの場面が浮かぶだろう。一つは公共施設の改修が完成するたびに、宿営地に地元記者を集めて行われた完成式典だ。05年6月に陸自車列が爆弾攻撃を受けるなど治安上の不安があったとはいえ『日本が重視しているのは復興事業の質ではなく、メディアを通じたプロパガンダ』との印象が非常に強く残った。もう一つの場面は、車列から沿道の市民に手を振る隊員の姿だ。猛暑の日も、砂嵐の日も、隊員らは常にサマワ市民に友好的だった。『日本人の優しさと誠実さ』を胸に刻んだ市民は多い。延べ計5500人の隊員が復興に貢献したのは間違いない。…だが弊害も無視できない。現地では『陸自は安全を金で買った』との批判がある。部隊の安全確保のため、日本は宿営地周辺の部族指導者ら有力者に巨額の地代や優先的な雇用、事業実施などの恩恵を与えた。その結果、サマワの一部には拝金主義や汚職の素地がはびこった…」。久しぶりにこの記事を読んで、地元で教師をしていたという彼の顔を思い浮かべた。

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 ジグザグ道路と陸自の装甲車両で守られた堅固な陣地は10数年前になくなったが、戦地派遣だったと言われることを回避したい内向きのロジック、組織の論理は残った。いや、今も残っている。2年半に及んだ陸自のイラク派遣は幹部自衛官、隊員たちの証言、日記メモなどで多少は明らかになっている。宿営地、車両への攻撃の実態、誤射トラブルなど、その都度、現場の指揮官たちは緊張しながら東京に状況を報告している。当然まだ、メディアが気付いていない事例もあるだろう。日報問題と森友、加計学園問題の根底はきわめて類似している点があるように思える。

イラク日報問題に揺れる防衛省
イラク南部サマワで掲げられた日の丸に敬礼する陸自隊員たち=2004年2月

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