国鉄型車両の「葬式鉄」

(上)JR東日本高崎支社が3月21日に最終運転した115系=群馬県高崎市、(下)最終運転した115系の車内=群馬県内

 「『葬式鉄』の記事を書いたのはあなたでしょう?」と、署名記事ではなかったのに複数のJR関係者に見抜かれてしまった。確かに「葬式鉄」と呼ばれる鉄道ファンの注目度が高い旧型車両の様々な引退記事を、共同通信社で他社に先駆けて報じてきた。

 一例として1987年の分割民営化前の旧国鉄時代に製造された国鉄型車両では、JR東日本の特急「踊り子」〈東京―伊豆急下田、修善寺(ともに静岡県)〉で走っている81年登場の「185系」が、中央線の主に新宿と松本(長野県)を結ぶ特急「あずさ」に使っている「E257系」に置き換えられることを昨年4月に報じた。

 運転台を高い位置に設けた“国鉄特急顔”の典型で、1970年代に登場した特急用車両「189系」をJR東日本が数年以内に全て引退、廃車にすることも今年2月に報道。現在は6両編成が3編成残っているが、記事の中で豊田車両センター(東京)所属の2編成は4月に運行を終えることを明らかにし、2日後に正式発表された。

 63年から約20年間量産され、寒冷地の急勾配区間の走行性能が優れた電車「115系」を巡っては、全車両に使う長野県の第三セクター「しなの鉄道」が初の新型車両を2019年秋にも導入し、8年程度で置き換える方針を固めたとの記事を今年1月に出した。

 「葬式鉄」の耳目を引きそうな将来の車両引退を“予告”したからには、「おくりびと」として去りゆく勇姿を見届けるべきとの思いが強まってきた。そこで、JR東日本高崎支社が115系を最終運行し、関東地方で全て引退した今年3月21日に群馬県を訪れた。

 この日は参加者を募った団体列車が群馬県内の信越線高崎―横川を午前に往復、上越線高崎―水上を午後に往復した。高崎支社のご高配のおかげで信越線に同乗取材し、高崎駅でオレンジ色と緑で塗られた通称「かぼちゃ電車」に乗り込んだ。

 車内には「Thank you GUNMA 115」(ありがとう群馬の115系)と記されたポスターが何枚も掲げられている。雪が舞う上州路を「ゴー」という重量感のあるモーター音を響かせ、ノンストップで横川へ向かう列車から窓外を眺めていると少年時代の記憶がよみがえった。

 長野県軽井沢町の親類宅を訪れるために189系の特急「あさま」(上野―長野など)で通った時のことで、国鉄型車両が持つ独特のたたずまいに郷愁をかき立てられた。

 わずか30分で着いた横川駅で思い返したのが、おぎのやの駅弁「峠の釜めし」をプラットホームで立ち売りしていた販売員の姿だ。

 列車は隣の軽井沢駅までの間にそびえる碓氷峠の急勾配を越えるために電気機関車の力を借り、機関車の連結・切り離し作業のため横川駅で長く停車した。その待ち時間をビジネスチャンスとして活用し、人気駅弁の高みにのぼった。

 ところが、1997年10月の北陸新幹線の高崎―長野間開業に伴って横川―軽井沢間が廃止されると、横川駅は特急停車駅からローカル線の頭端駅に転落。「峠の釜めし」も今や「高速道路のドライブインが大きな販路になっている」(おぎのや関係者)という時代の移り変わりは、まさに「諸行無常の響きあり」だ。

 高崎への車中で、115系に乗務していた元運転士の高崎支社社員はこう振り返った。「車体が重くて滑りにくく、運転しやすい車両でした。今日も多くのお客様を見て、愛されていた電車だと改めて思いましたし、引退は寂しいです」

 さらに、高崎駅に到着する手前では、車掌が車内放送でこんな贈る言葉を手向けた。「115系に携わった1人として『ありがとう、お疲れ様でした』とねぎらいの声を掛けたいと思います」

 115系と同じくかつて碓氷峠を越えていた189系はダイヤ改正前日の3月16日、主に金曜日と週末に富士急行へ乗り入れて新宿(東京)―河口湖(山梨県)を結ぶ臨時快速列車のラストランを迎えた。

 白い車体に緑と赤のラインが入った「グレードアップあずさ色」の189系が走り、河口湖駅ではこの日撮影会が開かれた。会場では「DJポリス」ならぬ「DJ車掌」が拡声器で「189系が今日で最後なのは、僕らも本当に残念ですよ!」と熱い思いをシャウトし、来場者の喝采を浴びていた。

(上)富士急行への乗り入れ最終日に走ったJR東日本189系の「グレードアップあずさ色」=3月16日、東京都国分寺市、(下)富士急行河口湖駅で、富士急の車両と並んだJR東日本189系の「グレードアップあずさ色」(一番左)=3月16日、山梨県富士河口湖町

 帰りに河口湖駅を出る189系の最終列車に乗ろうと駅の発車案内画面を眺めると「お疲れ様でした ありがとう189系」と表示され、下の文面にはこう記されていた。

 「首都圏と富士山・富士五湖エリアを結ぶ使命のもと、15年にわたる彼らの活躍は絶大であり、富士急行線の活性化に貢献した功績は、富士急行線の歴史の1ページとして語り継がれることでしょう」

 このように国鉄型車両が第一線を退く現場では「葬式鉄」のファンだけではなく、鉄道員たちも職場を離れるベテラン社員を送り出すような温かさがみなぎっていた。

 親しまれたのは、丸い目のような前照灯を備えた先頭部が愛嬌のある顔のようで、鋼鉄製の重い車体はメタボ気味といった人間味のある雰囲気を持つからではないか。魅力的な姿の“老兵”たちは花道を飾っても「ただ去るのみ」とはならず、人々の思い出の中でいつまでも走り続けることだろう。

 ☆大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)共同通信社経済部次長。1973年、東京都生まれ。高崎、河口湖両駅で115系と189系の記念グッズを買いあさり、総額は1万8千円と高額の“餞別”になりました。

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