2度目の還暦、京急大師線

4両編成の電車が往復する京急大師線=川崎大師駅

 還暦とは甲乙丙丁…の「十干(じっかん)」と子丑寅卯…の「十二支」の組み合わせが1周することなので「60歳」のことだ(10と12の最小公倍数ですね)。昔の人にしてみたら、暦が1周する60年などというのは途方もない長い年月だったわけだ。

 それが2周、つまり120年となれば、ものすごい歴史。その年月を刻んだ関東私鉄の雄が、京浜急行電鉄だ。

 1899年、現在の京急川崎近くの「六郷橋」から「大師」(現在の川崎大師)の両駅間を電車が結んだ。当時の会社の名前は大師電気鉄道(翌年に京浜電気鉄道と改称)で、その名の通り、川崎大師への参拝客を当て込んでの鉄道敷設だった。寺社参拝は江戸時代以来、旅の大きなモチベーションだったから、これに目を付けた鉄道会社は多かった。

 あれ、1899年だと今年は119年じゃないの? 実は今年は大師電気鉄道という会社が設立されたのは、開通前年の1898年。京急は、今年は「創立120年」、来年は「開通120年」という、2年にわたって祝賀行事が続くのだ。

 120年のルーツ、大師線を訪ねた。大勢の人が乗り降りする京急川崎は、高架線に2面4線のホームがあって、4、5番線が横浜方面、6、7番線が品川方面。地上線に降りると大師線の電車がぽつんと止まっているが、こちらが降車ホームを含め1~3番線。歴史が古い大師線に敬意が払われているようで、いささかうれしい。

 大師線は駅の名前も興味深い。京急川崎の次は「港町」(みなとちょう)。その次は「鈴木町」、戦前は味の素前と名乗っており、現在も目の前には味の素の川崎事業所が立つ。実はここの地名は川崎市川崎区鈴木町。味の素の創業者、鈴木三郎助にちなんだ地名なのだ。

120年の伝統を感じさせる川崎大師駅

 「川崎大師」は文字通り御大師さま参詣の最寄り駅だが、一つ先の「東門前」(ひがしもんぜん)も近い。「もんまえ」と読まず「もんぜん」というところが由緒正しい感じがする。

 隣の「産業道路」は、いきなり近代的、即物的な名前だ。大師線と直交する県道の名前がそのまま駅名になった。次の終点は、一転のどかな名前、「小島新田」。かつては新田に稲穂が揺れていたのかもしれないが、もはや田など見る影もない。

 交易業、工業、農業、そして宗教と、さまざまな由来の名前が並ぶ大師線。実は終点、小島新田の先に鉄道ファンにはもう一つのお楽しみがある。JR貨物の大ターミナル、川崎貨物駅を跨線橋から眺められる。跨線橋でぼーっとしていたら、タンク車を率いた電気機関車がゆっくりやって来た。歴史と産業を感じた一日でした。

 ☆八代 到(やしろ・いたる)1964年東京都生まれ。共同通信社勤務。「京急発祥之地」と銘打った大師線スタンプラリーに参加、スタンプ5個でオリジナルメモ帳をゲットしました。

© 一般社団法人共同通信社