野田明さん

 絵が得意な青年が第2次世界大戦に出征し、マレー半島で終戦を迎えた。降伏日本兵の一人となった青年は、2年弱の抑留生活を送りながら、目に映るもの全てを描き残そうとした▲創造美術会会員として活躍した佐世保市の洋画家、野田明さんが7日に死去した。享年96歳。その画歴の中で特筆すべきは、南方に抑留された若かりし日に、その体験を克明に記録する大量のスケッチを描いたことだ▲過酷な強制労働、その合間の憩い、熱帯の珍しい風物、現地住民との交流…。食糧や物資に事欠く極限の状況下で、時には樹木を手すきして作った紙を使ったり、医薬品を調合して絵の具代わりにしたり。持ち帰った約150枚の絵からは、希有(けう)の体験を描き留めたいという画家の本能がほとばしる▲大戦後の南方抑留の実態は、シベリア抑留に比べ一般によく知られておらず、未解明の部分も多い。現場の空気を生々しく伝える野田さんの絵は、現代史の空白を埋める貴重な資料として、近年専門家に再発見され注目される▲野田さんは後年、諫早湾干拓をモチーフに「干潟の墓標」と題した風景画を描いた。死んだ貝が転がる乾いた干潟を透徹した視点で描写し、無言で自然破壊を告発する大作だ▲もっと県民に知られていい画家だったと思う。冥福を祈る。(泉)

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