神経剤襲撃、英ロによる娘の争奪戦始まる

By 太田清

ユリア・スクリパリさん。フェイスブックから

 米英とロシアなど西側諸国の外交官追放に発展するなど、世界を騒がせている英南部の神経剤襲撃事件。「ノビチョク」と呼ばれる旧ソ連で開発された化学兵器が使用されたことで、ロシアの関与が強く疑われているが、事件の真相解明の鍵を握るのは、被害者である元ロシア情報機関員、セルゲイ・スクリパリ氏(66)と娘ユリアさん(33)さんだ。スクリパリ氏はなお入院中だが、ユリアさんは一時重体に陥っていたものの9日退院。現在は「英国内の安全な場所」に当局によりかくまわれている。 

 ユリアさんは貴重な証人であるとともに、事件以来、激しい批判合戦を続ける英国とロシアにとり、その身柄を確保し、自国に有利な発言をしてもらえれば、世界に自らの主張の正しさを訴えることができる「プロパガンダ」の材料ともなる人物。それだけに、ロシア、英国双方がその「争奪」に躍起となっている。 

 ▽プーチン氏投獄「すばらしい」 

 英大衆紙「サン」(電子版)によると、ユリアさんは2008年、モスクワの大学を卒業後、スポーツ用品のナイキに就職。父親のスクリパリ氏はロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の元大佐で06年に英情報機関に機密情報を提供したとして有罪判決を受け服役したが、10年に米国とロシアのスパイ交換で国外退去となり英国に移住。ユリアさんも父親の後を追うように同年、英国に移り住んだ。 

 英南部サウサンプトンのホテルチェーンなどで働いたが、その後、ロシアに帰国。モスクワでどのような仕事をしていたのか分かっていないが今年3月3日、父親に会うため英国を訪れ、翌日襲撃に遭った。フェイスブックに、プーチン・ロシア大統領を投獄することは「すばらしいアイデアだ」と書くなど、プーチン体制に対して批判的な姿勢を隠さなかったという。 

 ▽誘拐だ! 

 ロシア大使館はこれまで、ユリアさんらが家族との接触を妨害されていると批判。退院後は大使館員との面会を求めてきたが、英側は拒否。ユリアさんは退院後、英警察を通じ「ロシア大使館が親切にも、私への支援を申し出てきていることは知っているけど、今のところ、支援を受け入れる気持ちはありません。もし気持ちが変わったら、こちらから連絡を取ります」との声明を発表した。 

 これに対し、ロシア側は「声明が本当にユリアさんのものかどうか、私たちは大きな疑問を持っている」とした上で、ユリアさんが自分の意志で発言する自由があるかなどについて「早急に明白な証拠を出すよう」英当局に要求した。 

 一方、英紙サンデー・タイムズ(電子版)は、ロシア当局による暗殺を防ぐため、ユリアさんと父親の名前を変えた上で、米国に移住させる案が米英両国の情報機関で検討されていると報道。これに対しロシア大使館は、同案が実行されるなら「誘拐、少なくとも強制的な隔離とみなされる」と警告した。 

 ▽口封じ 

 ロシアがどのように騒ごうとも、ユリアさんの身柄が現在は英側にあることは変えられない。ユリアさんは声明で、今も神経剤の後遺障に悩み「メディアへの完全なインタビューに応じるほど回復はしていないが、いつかは応じたい」と、公の場で事件の真相や、自分の考えについて述べる意向を明らかにしている。 

 ユリアさんの居場所について、サンは情報筋の話として、「国内の軍事施設の病院で保護され、(後遺症の)治療を受けている」と伝えたが、英政府は当面、絶対にユリアさんの所在を明らかにしないだろう。ロシア外務省がよく使う「反ロ・キャンペーン」というものに、ユリアさんが利用されることを最も恐れるロシアが、その口封じに動くことを真剣に恐れているからだ。 (共同通信=太田清)

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