料理の道に進んだ元商社マンが驚いたこと  産地と消費者つなぎたい 「U30のコンパス」

1日限りの野外レストランに集まった客たちの前であいさつする横山太郎さん

 熊野灘を見下ろす三重県尾鷲市の古民家の庭で、地元の漁師や鮮魚店主らと関東や関西からの客がヒノキの長い食卓を囲んだ。

 「産地で食材に関わる人たちと都会の消費者を直接つなぐ場所をつくりたい」。1日限りの野外レストラン「Rotable(ローテーブル)」は商社を辞め料理の道を歩み始めた横山太郎(よこやま・たろう)さん(30)が企画した。

 提供されたのは、アジと焼きナスのテリーヌやオニエビとガスエビのマリネに始まる地元海産物のフルコース。横山さんが修業をしている東京・渋谷のビストロ「ピニョン」のシェフらが腕を振るった。

 横山さんは2016年、大学卒業後7年間勤めた商社を辞めた。便利雑貨の輸入などを担当し仕事は充実していた。だが「自分のやっていることは本当に人を幸せにしているのだろうか」との思いを拭い去ることができなかった。

 ピニョンは渋谷の繁華街から少し外れた場所にある。もともと人に料理を振る舞うのが好きだった横山さん。通勤で前を通るたびに気になっていたこのレストランの門を、意を決してたたいた。
 料理の世界に入り、店に届く魚の新鮮さに驚いた。仕入れ先を見ると尾鷲の岩崎魚店。「どうやって鮮度を保っているんだろう」。好奇心が湧き、17年1月、店を休んで店長の岩崎肇(いわさき・はじめ)さん(45)を訪ねた。

 岩崎さんの仕事を手伝いながら滞在した5日間、産地で食に携わる人々のこだわりに心を打たれた。

 岩崎さんは尾鷲から遠く離れた東京であろうと、自分が魚を卸した店をたびたび訪ねる。意見を聞き、仕入れなどに生かすためだ。定置網漁でイワシを捕る漁師は、船上で使う氷の量を細かく調節し鮮度を保つ工夫をしていた。

イベントの様子

 「彼らの姿を都会の人に伝えたい。地域の人には地元食材がどう料理されているか知ってほしい。そういうイベントをやりたい」
 ピニョンのオーナーに思い切って伝えると、「やってみたら」と入店間もない横山さんに賛成してくれた。その後は月1回ペースで尾鷲に通い、イベントの準備を進めた。

 迎えた昨年11月4日。訪れた約110人の客の中には、尾鷲だけでなく、東京や大阪から駆け付けた人も。このイベントで尾鷲を初めて知ったという人が多く「海も山も、おいしいものがたくさんある。また来たい」と話した。

 地元の人たちからは「魚といえば、刺し身か煮付けばかりだったが、こんな食べ方があるのか」と驚きの声が上がった。

 当日は昼の部、夜の部ともに満席。だが、売り上げはほとんどが経費に消えた。

 それでも「1回で終わらせるつもりはない」と横山さん。食卓として使ったヒノキのテーブルを提供した尾鷲ヒノキ内装材加工協同組合の若手たちと練っていた東京での出店計画は18年3月に実現。2日間だけだがイベントでヒノキのまな板などを販売した。

 「みんなにプラスがあるような仕組みをつくりたい」。横山さんの挑戦は終わらない。(共同通信津支局・社外協力員=鈴木まり子29歳)

 ▽取材を終えて 100年生きる時代といわれる今。その長い人生を一つの会社や仕事で乗り切ることが難しくなっている。転職し、畑違いの世界に飛び込み、さらに休みを利用して企画を実現する横山さん。その姿から、新しいチャレンジを続け自分を変化させていくことこそ、本当の「安定」なのかもしれないと思った。

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