【特集】愛媛県加計文書なぜ「備忘録」

民主主義脅かす本当の危機

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愛媛県職員が作成したとされる文書。1枚目左肩に「報告・伺」の記載があり、表題右下の日付の「13」は手書きで記入されている

 3年前、愛媛県職員が作成した文書が政権を揺さぶっている。当時の首相秘書官・柳瀬唯夫氏が、加計学園の獣医学部新設を「首相案件」だとする発言が記録されていた。

 その存在を認めた中村時広愛媛県知事は「職員が口頭報告のために作ったメモ」「備忘録として書いた」と説明、内容については「全面的に信頼している」と真実性を保証した。

 文書の内容にばかり目が行きがちだが、この文書を保存義務のない「備忘録」として扱ってきたことが、ここまで問題の核心を隠す結果になった。民主主義を脅かす本当の危機はここにあるのではないか。(47NEWS編集部、共同通信編集委員・佐々木央)

 ■口頭説明なのになぜ書き換えを■

 公文書の扱いを定める公文書管理法は2009年に公布され、11年4月に施行された。民主主義の根幹に関わる重要な法律だが、政治家や官僚に十分理解されているとはいえない。加計問題だけでなく、森友学園問題の文書改ざんや防衛省の日報隠蔽も、公文書管理の重要性に対する無理解という点で共通している。いや無理解というより、よく知っているからこそ、法の抜け穴をくぐるようにして文書を隠したり改ざんしたりするのかもしれない。

 この法律の第2条4項は、公文書のうち「行政文書」の定義規定である。行政文書とは「行政機関の職員が職務上作成し、または取得した文書であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう」。

 整理すれば(1)職員が職務上作成・取得(2)組織的に用いる(3)機関内に保有―の3要件を満たすものが公文書となる。当該「備忘録」は(1)を満たす。知事は(2)については個人用のメモ、備忘録だとし、(3)も現時点で「庁内に存在が確認できない」として、公文書性を否定する。

 しかし、この説明はかなり怪しい。文書の写真を見ると、左肩に「報告・伺い」と枠で囲ってあり、上司や関係部署に提出することを前提として作成されたことは間違いない。

 右肩の日付は「27.4・13」。官邸で柳瀬氏と会ったのは4月2日だから、出張から2週間もたってから作成したのかと思ったら、そうではなかった。その後、農水省から同じ内容の文書が見つかり、日付は「27.4・3」。中村知事は文書の作成は4月3日で、知事に説明する際に日付を説明日に合わせて書き換えたと説明した。

 よく見ると「13」だけが手書きだ。知事の話どおりなら、職員は知事への説明のためにまず自分用のメモを作った。そして説明日を記入するために、わざわざ日付をいったん空欄にして、そこに手書きで日付を書き込んだ。提出もしないのに、そんなややこしいことをするだろうか。配布するためでなければ、あり得ない対応だ。

 ■会議に紙を出さない不思議■

 愛媛県の場合、会議に出席した後の報告は原則「口頭」だという。それも実務として不思議だ。

 官公庁は文書によって情報を共有・確認する「文書主義」をとっている。知事の説明が事実なら、愛媛県では上司や同僚に何かを説明するとき、報告者は自分用のメモだけを作り、その紙を見ながら口頭で説明し、あとは出席者の記憶に任せ、紙は廃棄することになる。

 記憶に頼れば個人によって濃淡や内容にばらつきが出て、誤解も生じる。それを防ぐなら、各出席者が説明を聞きながらメモを取るということになるが、非現実的だ。もともと報告者作成のメモがあるのだから。

 重要なテーマであればあるほど、文書として記録し、共有する必要性が高まる。愛媛県にとって加計問題とは、まさしくそういう案件ではなかったか。

 そうだとすると、組織的に用いた文書であり、必要がなくなるまで(あるいは現在も)関係職員はこの文書を保管しているはずだ。(2)と(3)の要件も満たしていた蓋然性はきわめて高い。

 中村知事は会見で「何かが決まればきっちり公文書として残す」としつつ、今回の文書は「保存義務がない」とし、一般的にそのような文書は「不要と判断したら廃棄する」と説明した。

 知事が「保存義務」にこだわるのはなぜか。愛媛県は昨年5月の市民団体の情報公開請求に対し、官邸への訪問記録は「廃棄済み」と回答している。それが合法的であるとするために「備忘録」として、つじつまを合わせているのではないか。

 現実には2001年の情報公開法制定来、よけいな詮索や批判を受けないように、決裁文書以外は保存義務のない私的メモ扱いするやり方が広がっているという。

 だが、決裁文書だけを保存すればいいという考え方は、公文書保存と公開の根本を理解していないか、無視している。

 ■過程を含めて保存し検証の対象に■

 公文書管理法4条は政策決定や事業の過程を「合理的に跡付け、または検証することができるよう…文書を作成しなければならない」と定める。

 決裁文書だけを保存・公開しても、その決裁が正当だったかどうかは分からない。過程の記録を残して初めて意味があるのだ。森友問題では決裁文書に詳細な経緯を書き込むという異例の対応だったため、検証が可能になった。結論だけが記されていたら、追及は不可能だったろう。

 公文書管理法の1条は長たらしく、係り受けも複雑な条文だが、そこには重要な認識が示されている。

 公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり「主権者である国民が主体的に利用し得る」と位置づける。そして法の目的として「国民主権の理念にのっとり…適切な保存および利用等を図」ることによって「行政が適正かつ効率的に運営されるようにする」こと、国などの活動を「現在および将来の国民に説明する責務が全うされるようにする」ことを掲げる。

 もし、関係省庁や関係自治体がこの自覚を持って行動していたなら、政権の政策決定が合理的であると結論付けるにせよ、そうでないにせよ、ここまで混迷することなく、事態が解明されただろう。文書を軽んじたことで、日本の民主主義は大きく毀損された。

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