精神治療、抵抗強かった 沖縄「私宅監置」解消の歴史 久米島で聞き取り

©株式会社沖縄タイムス社

 沖縄県精神保健福祉会連合会(沖福連)の山田圭吾会長ら8人は14、15の両日、「精神保健活動」に県内で先駆的に取り組んだ久米島を訪れ、元保健師の宮里恵美子さん(73)らから聞き取りをした。同島では1971年、「私宅監置」されていた精神障がい者や家族などを地域で支える巡回診療が始まった。支援に駆け回った一人、宮里さんは入院治療で本島に送り出した患者も「最終的に地域の中でいかに生活させるかを第一に考えてきた」と振り返った。(社会部・新垣綾子)

 巡回診療は那覇保健所の嘱託医だった故・島成郎(しげお)さんが立ち上げ、年3回各4日程度の日程で実施。宮里さんは本島から島さんや保健婦(当時)、看護婦(同)らが来るのに備え、30人ほどの患者宅に事前に何度も通い病状や家庭環境などを把握する調査に奔走した。「最初の5年間は新規の患者が多く、役場ではいつも一番最後の帰宅だった。精神の治療に対する住民の抵抗が強く、3年通ってやっとドアを開けてくれた人もいた」

 かつて島内に点在していた監置の痕跡は、今はもう確認できない。コンクリートの小屋に隔離され、20年間外に出なかったという男性宅には3階建てのアパートが建っていた。

 監置経験のある患者はほとんど亡くなったが、70代女性は現在も本島に長期入院中という。出会った当初は20代半ばで両親と3人暮らし。家の奥にある4畳半ほどの板敷きの部屋に外鍵で閉じ込められ、入浴もせず排せつ物も散乱していた。

 親が服薬を中断させて病状が悪化する傾向があったため、環境を変える目的で入院させたが、それ以来女性は帰郷していない。宮里さんは「高齢の母親は、娘が手の内から離れることをしきりに寂しがっていた。本人が帰りたがらないという話も聞いたが、いずれは地域に戻ってくることが私たちの目標でもあった」と複雑な心境をにじませた。

 巡回診療は、区長や民生委員ら地域住民との交流にも力を入れた。その結果79年には精神障がい者の家族会が結成され、当事者の自立を目指す地域デイケアがスタート。いずれも県内初の取り組みで、他市町村のモデルにもなった。

 2000年に公立久米島病院が開院するまで、4人の医師が携わった巡回診療。3代目医師の名古屋和壱さん(66)は「私の時代にはだいぶ落ち着いて仕事ができるようになった。2代目までの医師たちの存在はもちろん、この島に宮里さんがいなければ、成し遂げられなかった」と語った。

旧那覇保健所久米島支所の敷地内に立つ宮里恵美子さん。建物には1967年9月付で「アメリカ合衆国より琉球住民へ贈る」と刻まれたプレートが当時のまま残る=14日、久米島町
巡回診療でスタッフと話し合う宮里恵美子さん(左から2人目)と島成郎医師(左)=1971年ごろ

あなたにおすすめ