『Gazzetta dello Sport』は18日、今週末で引退する元ブラジル代表GKジュリオ・セーザルのインタビューを掲載した。
かつてインテルやQPR、ベンフィカなどで活躍を見せた守護神ジュリオ・セーザル。今年ユース時代を過ごしたフラメンゴと3ヶ月契約を結び、最後のプレーを行っていた。
そして今週末のアメリカ・ミネイロ戦を最後に現役を離れることが決まっており、盛大なセレモニーで送り出される予定だ。
彼は自分のキャリアについて以下のように話し、ブラジル代表やインテルでのエピソードについても明かした。
ジュリオ・セーザル 「最後の試合になる。素晴らしいものになるだろうね。ただ、僕の人生の一欠片が終わってしまう。
この20年間は美しいものだった。『夢』という概念を超えていた。子供の頃にも、こんなキャリアを想像してはいなかったよ。
土曜日はお別れになる。僕のためではない。これを行うことを許してくれた人々…フラメンゴや、そのファンたちのためにね。
フラメンゴは、子供だった僕を受け入れて、大人になるまでそばに居てくれた。欧州に渡る準備が整うまで。これからも感謝を持ち続けるだろう。
インテルのファンは知っている。僕はカメラのことを気にしていないと。感情を表すことを恥じなかった。泣きたい時には泣く男だ。
この3ヶ月は想像以上に楽しかった。フラメンゴの子供であると感じられた。38歳になってしまったが、17歳であるように思えたよ。
数週間前、ヴィニシウス・ジュニオール(17歳の天才選手、レアル・マドリー移籍が内定している)が興味深いことを言ってくれた。
『あなたがここに来るというから、シーズンの最後までフラメンゴに残らせてもらったんだ』と」
(自分のキャリアを振り返って)
「誰もが『チャンピオンズリーグ準決勝でのリオネル・メッシとの対戦』と言うだろうね。それも正しいかもしれない。
あのときは教えられたね。ゴールキーパーはセービングのみで魅せられるのだと。それが重要なものならば。あれこそまさに、とても重要なセーブだった」
(最も感情的になった瞬間は?)
「うーん、難しいな…3つ挙げさせてもらっていいかい?
まずは2001年、カリオカ選手権を優勝した時だ。フラメンゴ対ヴァスコだね。
我々は優勝のために最低でも2点差が必要だった。残り2分でデヤン・ペトコヴィッチがゴールを決めて3-1になったんだ。
次に、マドリードでのチャンピオンズリーグだ。これが間違いなくキャリアの最高点だったね。
そして3つ目は、2014年のワールドカップだ。この大会では7-1でドイツに負けてしまったんだけどね…。
何が起こったのか、理解することができなかった。今でもまだ噛み砕けていない。
ドイツは我々の弱点を知っていたんだ。しかし、我々は彼らにすべてを見せてしまった。開いた本のようにね。ひどい、ひどい、ひどいプレーだった。
ピッチ上で考えていた。『起きろジュリオ、これは悪夢だ。早く起きろ』と。
チアゴ・シウヴァがハーフタイムに我々を鼓舞した。スコアはもう5-0だった。
しかし、ドレッシングルームは不気味なほど静かだった。誰も話すことができない。
サッカーというのはそういうものだ。常に良いことばかりではない。時には想像を絶することに直面する。そのようなときこそ、心の強さを証明しなければならない」
(あまり知られていないキャリアの裏話は?)
「インテルに加入して間もない頃だ。セリエAでは2位だった。そして迎えたパレルモとの試合だ。
週の半ばに、マンチーニ監督が言ったんだ。
『エウジェニオ・コリーニのことはよく知っている。フリーキックの時、逆ポストに壁を作れば、彼に問題を引き起こせるはずだ』
困惑はしたが、『あなたが監督だ。そうしよう』と答えた。
土曜日、コリーニはフリーキックを蹴って、トップコーナーに突き刺した。
その3週間後だ。トリノでのユヴェントス戦だ。マンチーニ監督はこう言ったよ。
『私はネドヴェドとともにプレーしたことがある。フリーキックで壁の下を抜いて、ニアポストに決めてくるぞ』
ネドヴェドがフリーキックを蹴った。壁の上を超えて、2-0になった。
ジャーナリストは私を叩き始めたよ。『フリーキックのとき、ジュリオ・セーザルはどんなにひどいことか!』と。
そして、僕はマンチーニに言ったよ。
『ボス、こうさせてくれ。僕がミスしてもそれはミスだ。しかし自分が選んだことなら納得できるんだ。分かってくれ』とね」