老境文学の最先端、方言の威力 「おらおら―」の快進撃を分析する

自著「おらおらでひとりいぐも」にサインをする若竹千佐子さん(左から2人目)=2018年2月28日、盛岡市のさわや書店ORIORI店

 2018年1月の選考会で芥川賞に選ばれた若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社)が売れている。発売4カ月で発行50万部を超え、これを書いている18年4月時点でも勢いがある。若竹さんは現在64歳だが、17年10月にこの作品で文芸賞を受賞し、デビューしたばかりの新人作家。岩手県遠野市出身、千葉県在住。ついこの間まで普通の主婦だったのに、今や取材が殺到、サイン会のため全国各地を飛び回る生活に。本人いわく「あいや~、なにがなんだか…。自分が一番驚いてます」という状況なのだ。

 実は17年10月の文芸賞贈呈式当日、私は若い担当編集者に「この本、化けるよ」と予言した。そんなことを言うのは初めてだった。本の発売後まもなく、彼から電話がかかってきた。「ほんとに売れてます! どうしてなんでしょう?」

 文芸賞受賞時は直感だったが、分析的にみれば、ヒットの理由として二つの側面があると思う。一つは老境文学の最先端だったこと。もう一つは方言の威力だ。

 ▽舞台は整っていた

 近年、女性の書き手によるエッセーが当たっている。12年に出版された渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」。15年出版、篠田桃紅さんの「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」。そして極め付きが16年8月に出版された佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」で、17年11月に100万部を突破した。老いをどう生きるかという問題に直面している中高年読者が、人生の先輩女性が書いた“生き方指南書”を読む。そんな中で「おらおら―」は登場した。舞台は整っていたのだ。

 主人公は74歳の桃子さん。1964年、24歳の時に東京五輪のファンファーレに押し出されるように故郷の町を飛び出した。同郷の男性と知り合って結婚、2人の子どもを産み、育てた。

 しかし最愛の夫に先立たれ、今も悲しみを引きずっている。独立した子どもたちとは疎遠になり、家でひとり、茶をすすりながら思考する。「だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。(略)おらだば、おめだ。おめだば、おらだ」。体の中から湧き上がる東北弁の声に耳を傾ける。

 桃子さんは気づく。夫に死なれて、悲しみのどん底にあった時にも「一点の喜び」を見いだしたことを。「おらは独りで生きでみたがったのす」

 ▽青春小説の対極の玄冬小説

 2018年2月末、盛岡市で“凱旋サイン会”があると聞き、現地に向かった。東山堂川徳店とさわや書店ORIORI店でのサイン会に集まった読者に、小説の魅力を聞いた。

 岩手県矢巾町の67歳の女性は「夫に先立たれた主人公の考えていることが気になって手に取りました」と話す。「今は夫と2人暮らしですが、いずれはひとりになる。『私は私で、ひとりで生きていく』という意味の題にも引かれた」

 他にも、ひとりになる時のことを考えながら読んだという人は多く、読後感としては「励まされた」「力が湧いた」という言葉が重なった。

 若竹さんはデビュー時、63歳。55歳の時に夫に先立たれ、悲しみに暮れているとき、長男に勧められ小説教室に通った。「おらおら―」は、青春小説の対極にある「玄冬小説」として書いたという。人生を青春、朱夏、白秋、玄冬の四つに分けるなら、玄冬の女性が最も面白い、そういう女性を主人公にした小説を書いていくつもりだと語った。

 さわや書店で開かれたトークイベント。「亭主がいると安心な半面、自分を殺していたところがあった。ひとりになり、自分で自分のことを決める喜びと解放感を味わった」「老いとは、母や妻という役割を脱ぎ捨て、自由に生きられる時間のこと。すがすがしい時代です」。そんな若竹さんの言葉に、聴衆が深く頷く。

 夫が死んで、つらかった。悲しかった。そのことが十分書かれているからこそ、「ひとり」を受け入れ、前を向く姿が輝いて映る。読者を鼓舞するのだ。

 桃子さんは墓参りの道で彼岸花やカラスウリの赤に感応する。そして思う。「まだ戦える。おらはこれがらの人だ。こみあげる笑いはこみあげる意欲だ。まだ、終わっていない」

 ▽解放、自由、ユーモアも

 老境文学はその後も続いている。瀬戸内寂聴さんは17年12月出版の小説「いのち」がベストセラーになり、初めての句集「ひとり」で星野立子賞を受賞した。こんな句がある。<独りとはかくもすがしき雪こんこん><御山のひとりに深き花の闇>

 下重暁子さんは18年3月、「極上の孤独」という題の新書を出版した。帯には「孤独ほど、贅沢で愉快なものはない」と書かれている。

 最近の老境文学の担い手たちの共通点は若々しく、ユーモアがあること。孤独を直視し、その中に肯定的な価値を見つけていること。読者を勇気づけ、「ひとり」を否定的に捉える世間に反逆する。

 文芸評論家の斎藤美奈子さんは「文芸」(18年夏号)で多くの「玄冬小説」を紹介し、こうつづる。「『独居老人』を哀れむのは、少なくとも文学の世界に関する限り、余計なお世話です。独居老人で何が悪い。人はみんな、ひとりで生まれてひとりで死ぬのさ。と書いてみて気がついた。おお、まさに『おらおらでひとりいぐも』じゃないの」

 まだあまり知られていないであろう作品も紹介したい。井崎外枝子さんの詩集「出会わねばならなかった、ただひとりの人」。17年12月、富山市の草子舎から出版された。井崎さんは1938年生まれ、金沢市に住む。

 「痛む/悼む/その前に傷んでいる/四六時中きしむ、からだとこころ」。夫の死を題材にした表題作からは慟哭が聞こえてくるようだ。一方で、この長い表題作の中で、作者は少しずつ強くなっていくのが分かる。悲しみの中に、ユーモアが漂う瞬間もある。

 表題そのものが象徴的だ。「あとがき」によれば、「納骨の日に戴いた」法語カレンダーから取った。そこにはこう書かれていた。「出会わねばならない/ただひとりの人がいる/それは 私自身」。つまり表題の「ただひとりの人」とは夫を指すのではなく、自分のことなのだ。最愛の人に死なれたとき、人は自分自身に出会う。向き合わなければならなくなる。

 ▽最古層のおらそのもの

 「おらおら―」を初めて読んだとき、思い起こしたのは町田康さんの「告白」だった。方言を駆使していること、主人公の語りが思弁的であること。似ていると思った。

 本稿の冒頭で触れた文芸賞贈呈式の前の取材会。若竹さんに「町田さんが河内弁で小説を書いていますが、影響はありましたか」と質問すると、こう答えた。「私は語りの文体というのが本当に好きで…。『告白』の文体をまねて、私も東北弁と標準語の両方で表現してみたらどうだろうかと思って書きました」。方言で桃子さんの心情を表し、標準語は「話を推進する部分」に用いたという。「この二つを融合して書くことを狙った」と明かした。

 「おらおら―」の中で、桃子さんが東北弁を意識しだしたのは小1の時、一人称の発声においてであった。それまでは自分を「おら」と言っていたのに、教科書で「わたし」という言葉を知り「あやっ」と思った。でも簡単に「わたし」とは言えない。桃子さんは「一種の踏み絵であった。試されているような気がした」と述懐する。

 やがて故郷の町を離れ、50年。日常会話も内なる思考も標準語になっていたが、70歳を超えた今「東北弁丸出しの声」が桃子さんの心中に氾濫する。「大勢の桃子さん」が現れて勝手にしゃべる。桃子さんは思う。「東北弁とは最古層のおらそのものである」と。

 盛岡でのサイン会を取材した際にも、東北弁のことに触れたファンが目立った。同郷ゆえに「親しみやすい」という声が多く、「劣等感を持っていた東北弁に光を与えてくれた。ありがたい」と喜ぶ人もいた。

 若竹さんが共同通信に寄せた芥川賞受賞エッセーにも東北弁が使われていた。私が編集者として本人とやりとりしているとき「ここ、分かる?」「この意味、通じる?」と何度も聞かれた。実に意識的、戦略的に方言を使っているのだ。

 「おらおら―」という作品がまとうユーモアや、作者自身と主人公の距離感、読者との関係に、東北弁が大きな役割を果たし、成功につながっていることは間違いない。「おらおら―」は、方言による表現にも、新しい地平を拓いたといえるのではないか。(2018年4月、田村文・共同通信文化部編集委員)

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