冒頭、和光の時計が朝6時を指して、ラストは夜7時で終わる。
『銀座の恋の物語』(1962年 藤原惟繕監督)は確かそういう映画だった。
あまりにも有名な歌謡曲の歌詞のまんま、若いふたりの恋の物語。
“若さ”など似合わなそうな銀座だが、この映画には冒頭からなぜか人力車で早朝の銀座を闊歩する石原裕次郎と、ビルの屋上から「おはよう!」と声をかける浅丘ルリ子が出てくる。
銀座を歩く若いふたりで終わるまで、ずっとこのふたりの“若さ”が漲っていた。
1962年といえば、東京オリンピックが開催される2年前。
私が生まれる3年前の東京・銀座を舞台にした映画である。
この映画をあらためて見て思わず涙ぐんでしまった。
それは当時の銀座から、まだ焦土の匂いが感じられたからだった。
裕次郎の同居人でピアノ弾きのジェリー藤尾は「オレみたいな合いの子」と言い、舞台照明の強い光でめまいを起こした浅丘ルリ子は、両親を亡くした戦争を思い出す。
赤や青の銀座のネオン管はジィージィーっと音を立てながら夜の闇を飾り、若者は東京のど真ん中の銀座で恋をし、夢を追う。
なんたって、あの浅丘ルリ子の初々しさ。
赤いサブリナシューズに白い三つ折りソックスが愛らしい銀座のモード服のお針子に扮したヒロインに憧れた若者は多かっただろう。
冗談のような話だが、私が生まれる前、母は銀座でお針子のアルバイトをしていたと聞いた。裕次郎のような恋人こそいなかったが、まんまこの映画じゃないか。
そんなふうに、当時この映画に影響された若者はたくさんいたにちがいない。そのくらいこの映画には当時の若者が憧れる全てが詰まっていた。
若さ、恋、夢、東京、銀座、ジャズ、闇……。
GHQによる占領が終わったのは、その10年前の1952年。
戦争の傷痕が残っているというのが、なんだか妙にリアルに感じるこの映画。
そして、この映画で印象的なカメラアングル。都会という場所が持つ縦の構図。
和光の時計台からカメラが銀座4丁目交差点下へ移動すると、なぜか芸者を乗せた人力車を引く裕次郎を追う。
そこへ徹夜明けのお針子のヒロインがビルの屋上から「おはよう!」と声をかける。
上を見上げたり、下を見下ろしたり、俯瞰、仰角と縦横無尽に動くカメラ。
松屋デパートの屋上や、日劇を見下ろすビルの屋上。
いろんな屋上が出てきたり、デパートやビル建物内の階段。
都会を描く時の、この高低差を意識させるカメラワークはちょっと面白かったりする。
アメリカというよりもヨーロッパ文化の雰囲気を醸しながら、日本文化の粋も併せ持つ銀座という街の魅力がこの映画に詰まっているような気がした。
今はなき、当時の銀座界隈の街をカラーで見られるという点でも大変貴重な映画だったりする。
とにかく「銀恋」といえば、昭和にめちゃくちゃはやった歌謡曲で、カラオケのデュエット曲でも人気だった。
だけど、歌は知っていても、映画の内容をきちんと説明できるおじさんは果たしていかほどいるだろうか。
そんなことをふと思いながら、いつものように銀座を歩く私。
すっかり映画「銀恋」の時代からは変わってしまった。
森永キャラメルの丸いネオンも消えた。
松屋デパートはまだあるが、銀座6丁目の松坂屋は「GINZA SIX」に変わり、信号の英語表記もGinza6―chomeからGinza6に変わっていた。
そごうや西武などの老舗デパートも、今では松屋と三越の二つしか残っていない。
私の銀座の思い出といえば、迷子。
いつもキョロキョロ、気に入るとじっとそこを動かず観察し続ける私は、すぐ親とはぐれた。
ケロヨンのシャツに不二家ミルキーのぺこちゃんバッグをぶら下げて、デパートの迷子案内の片隅で係りの人がくれるお菓子とかを食べながらのらのら待っていると、親からは大抵ものすごく叱られた。
それでも、まだ銀座をうろちょろしたくて、ホコ天をたったかたったか走っていると「あれに座りたい」とパラソルの下の椅子を指差し、先に座っていたお姉さんから駄々をこねて席を無理やり譲ってもらうという、最悪な子どもだった。
大人になると映画館に通った街、銀座。
1983年4月、有楽町シネマである映画を見てからというもの、音をたてて私の人生が変わっていった。それはフランス映画『気狂いピエロ』(1965年 J・Lゴダール監督)だった。
銀座の並木座には本当によく通った。
ここで古い日本の映画をとにかくよく見た。
足を伸ばせば京橋にはフィルムセンターもあった。
そして、試写室などという場所にもよく行くようになった。
映画にまみれているだけで、疲れも知らずのらのらと銀座通りを歩く。
ポケットには小銭しかなくていつもお腹をすかせていたけれど、映画にまみれて銀座を歩いているだけで多幸感に満ち溢れていた日々だった。
1989年だったと思う。
CMで銀座ロケをしたことがあった。
記憶が定かであれば、あれはコリドー街。
ひとだかりの中に、さらにエキストラのひとだかりを仕込み、その中を人混みをかき分けながら走る私。
わざと人通りの多い夜の街路の構図を作り、隠し撮りのようにして撮った。
商品がラーメンという割には銀座の街並みと人物を縦構図に切り取る仕掛けがこんでいて、ちょっと斬新なCMだったが、それもそのはずでなんと工藤栄一監督による演出だった。
隣の有楽町になるが『愛という名のもとに』(フジテレビ)のタイトルバックのロケをしたのも思い出す。
さて、十分大人になった今、銀座といえば酒を嗜む街にもなった。
高級クラブというところにも行ったことがあるが、やはり小さなバーが好ましい。
安心してひとりで飲める店というのも大事。中でも「サンボア」はお気に入り。
ここで名物の氷なしハイボールとカツサンドで銀座に夜の帳が降りるのを待つのが好き。
カツサンドといえば木挽町「チョウシ屋」でハムカツサンド300円也も美味しい。コッペもあるけどサンドにする。
運が良ければ「よしや」でどら焼きをお土産に買って帰るのもいいだろう。
缶詰バーなんていうのもあるけれど、最近人気で早めに行かないと入れない。
最近は、人気店となるとどこでも行列ができている。
先日、日比谷シャンテ別館にオープンしたばかりの「添好運(ティムホーワン)」に行ってきた。
本店は香港。私は、香港駅の地下にある店を何度か訪れたことがある。
叉焼入りパイナップルパン(日本でいうメロンパン)がおすすめというので、食べてみたが、皮のサクサクと中のもっちり感、そしてその薄い皮に包まれた叉焼のとろっとろが「ちょいと旨いじゃん!」と思って以来、香港駅に行くたびに買い食いするようになった。
香港のフォーシーズンズホテル内にある、世界で初めて中華料理で三ツ星を獲得した「龍景軒」。その点心師が独立してオープンしたこの店は、世界一リーズナブルなミシュラン星付きレストランとして人気となり、今や世界のあちこちに店舗が増殖中だ。
いよいよ日本進出ということで行ってみた。
「店内は3時間半以上待ち」「テイクアウトコーナーならば15分くらいで買える」というので、パイナップル叉焼パン、正式名「ベイクド叉焼包」だけ買って帰ってきた。
うーん、なにかが違う。
値段もちょいとばかり現地香港より高め。
でも、香港まで行かずとも食べられるという利点はある。
私はやはり本場・香港で食べることをおすすめしたいが、そうもいかないという方は、ぜひ大型連休中にでも、長時間並ぶことを覚悟でトライしてみてはいかがだろう。