『地震の教訓を未来に生かす』(大津町長 家入勲氏) 危機管理のトップが学ぶべき点

大津町の仮設庁舎

災害時におけるトップの役割とは何か―。ひとたび大災害が発生すると、自治体の首長には一気に権限が集中します。災害対策本部の機能や業務内容は地域防災計画の中にも書かれていますが、災害対策本部長である首長がどのように状況を判断して決断・指示すればいいのか、いかなる責任を負うかについて具体的に明記されているものは見たことがありません。

熊本地震では、庁舎が使えなくなるなど、極めて困難な状況の中、各自治体は災害直後から情報の収集、避難者への対応などに奔走しました。その時、各自治体の首長は、何を考え、どう行動したのでしょうか? 最も困難な事態は何で、どうそれを乗り越えたのでしょうか――。

昨年末、熊本県から「熊本地震への対応に係る検証アドバイザー」に任命され、熊本県知事と県内8市町村長(震度6強以上の揺れを観測し、かつ、応急仮設住宅を建設した市町村)にインタビューを行い、これらの事実をオーラルヒストリーとしてまとさせていただきました。
参照:熊本地震の発災4か月以降の復旧・復興の取組に関する検証報告書(http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_23049.html?type=top

ここに掲載したすべての首長のすべての判断・決断が最善であったかどうかを、このインタビュー内容だけで検証することはできませんが、組織のトップとして、いかにその役割・責任を認識し、全うしようと考えていたのかを知ることは、自治体に限らず、企業を含めたあらゆる組織のトップ、あるいは危機管理担当者にも参考になるはずです。

リスク対策.comでは、オーラルヒストリーでまとめたインタビュー内容を全9回にわたりシリーズで紹介していきます。「もし自分がその場のトップだったらどう指揮をとるか」という意識を持って読んでいただければ幸いです。第5回は、町内に83カ所もの自主避難所や指定外避難所が開設された大津町の家入勲町長へのインタビューです。文末には、危機対応時にトップが考えるべき点を、個人的な見解としてまとめてみました。

 

オーラルヒストリー№5 大津町長 家入勲氏

『地震の教訓を未来に生かす』

家入勲(いえいり・いさお ) 氏

 

 

 

 

 

 

 

町内に83カ所もの自主避難所や指定外避難所が開設された大津町。住民主体で避難所運営にあたる一方で、さまざまなトラブルも発生。家入勲町長は、今回の教訓を生かした防災体制とまちづくりの必要性を説く。

■基本情報
【職員】204人  【面積】99.10㎢
【人口】33,765人 【世帯数】12,925世帯

■被害の概要
【人的被害】
死者 4人、負傷者 36人
【住家被害】
全壊 127件、大規模半壊 231件
半壊 1,202件、一部損壊 3,797件
【庁舎等の被害】
熊本地震により,多数のクラックや内壁の剥離が見られる等,中破程度の被害を受け,使用を中止した。現在,仮庁舎や町の施設で分散して業務を行っている。地震発生前より,庁舎建て替えを検討しており,平成30年度工事着工,平成32年度中の開庁を予定している。

指定避難所の管理運営に苦慮

前震、本震と、震度6強の地震が二度発生するという想定を超えたことが起きたことで、避難所の運営や避難した人に対する物資の支援などに手をつけられない状況でした。当初は68カ所の各行政区の中で一時避難所という形で、ある程度、住民主体で運営にあたられました。そこでは、地域の皆さんが、地域でまとまってやっていただきました。しかし、町指定の19の避難所になると、町が管理運営をしていかなくてはいけませんでした。昼も夜も職員を配置しなくてはいけませんし、警備員をつけようと思いましたが、気づいたときには警備員が不足して手配できない状況で、管理運営が大変でした。

最低3日分は各自備蓄を

町の対策本部室には、県や他県、国交省、農水省から支援職員が10~13人ぐらい、1週間~10日交代で来ておられましたが、近くに住むところがなく遠くから通っていただくことになりました。自衛隊にも来ていただき、炊き出しを給食センターでやりましたが、指定避難所の避難者に届けるには1万3000食以上つくらなくてはいけないのに1時間に800食しかできない。朝8時半から準備をして、すべて終わったのが夕方の5時過ぎです。指定外の避難所では、地域の方々が自分たちで炊き出しをされましたが、指定避難所は町の職員がやるので、なかなか炊き出しが追いつかない。住民からは「益城町はバナナが一本ずつ来ているのに、大津はまだ何も来ない、1日たっても握り飯ひとつか」と叱られました。若い職員何人かでおにぎりを作るわけですが、ビニール袋の中で丸めると早いということで、ビニールに入れて配ったら、「こんなのはにぎり飯じゃない。」と言う方もおられ、やはり3日分ぐらいは、自分たちの食べ物は自分たちで備蓄しておいてもらわないといけないと感じています。

プッシュ型の物資支援への対応

最初の1週間ぐらいは物資が来なくて大変でしたが、時間が経つと、十分足りているものまでがたくさん届くようになりました。全国の好意に感謝して受け入れますが、それを配布するのが大変でした。持ってきてくれる人も大変な苦労をされておられるでしょうし、職員には、どんなものを持ってきてもらっても、感謝の気持ちで受け取りなさいと伝えました。
最終的に場所と時間を決めて、被災された方に何時にここに集まってくださいという形で呼びかけ、2日、3日しか日持ちがしないものについては、健康を害さないように十分注意して配布しました。

住民の防災組織をつくる

指定外避難所の運営も、地域の人たちだけならお互い顔が見えているので問題も起きにくいのですが、大きな災害になると町外からの被災者の方も集まってこられ、トラブルも起きます。課題のまとめ役は職員が行わざるを得ません。しかし、実際、ボランティアをやっている方と話をすると、あの人は協力がないので困りますなどと言われ、話がまとまらなかったりしました。今後、住民主体の地域の自主防災組織をしっかりつくっていく必要があると思いました。
大津町には防災士の資格を持っている人が60人以上おられますが、今後はその内約20人の防災士の方に講習等を受けていただくなどして、町の防災指導員としての強化を図っていきたいと考えております。実は、防災指導員の皆さんに、地域の防災訓練などの指導をしてもらえるような組織づくりを進めておりましたが、実践に入る前に地震が来てしまったものですから、なかなか機能しませんでした。今後は、防災訓練を行いながら、専門の防災指導員が中心となって地域住民の安全安心のための指導をしてもらえる組織をつくってしっかり育てていきたいと考えています。
また、住民主体の地域活動に助成を行う地域防災力支援事業がありますので、防災への人材育成に取り組むことにより、まずは住民同士、顔が見えるように地域の「見える化」を進めていきたいと考えています。こうした活動が「己の命は己で守り、己の地域は地域で守る」という意識を醸成していくものと期待しています。

避難所には1mの大きな看板をつくる

今、職員には、指定避難所に大きな看板を設置するよう指示しています。いざという時に町民だけでなく、町に来ておられる町外や海外の人もどこに避難すればいいかわかるように、この地域の避難所はここですという、1メートルぐらいの目に付きやすい看板を作りたいと考えています。

消防団・業界団体との連携

対策本部の中には消防団幹部もいて、地域の中を消防積載車で見守り広報巡回していただくなど、地域の安全の確保に大きく貢献していただきました。また建設業組合など業界団体の方も対策本部におりまして、被災地の近くの企業に「あそこで倒木しているから重機を持って行って通れるようにやってくれ」と指示を出してもらうなど、行政だけでなくそういう団体からの支援・連携で地震対応を乗り切ることができたと感じています。こうした地域の関係は今後も大切にしていきたいと思いますし、やはり日ごろから対策本部の中で、こうした流れを踏まえて訓練しておくことが重要だと思います。
私は、役場の経験は長いし、消防主任など経験していますから、災害対応についても、だいたいのことはよくわかっているつもりです。消防署職員も何かあれば、すぐに役場に来ますし、副町長も役場職員出身で町行政に詳しく、私が言わなくてもちゃんと動けるようになっています。こうしたことも今後も若い職員に伝え、自ら行動が出来るようにしていかないといけません。

対策本部でトップがやるべきことに取り組んだ

地震後は、もっと大きな余震がくるかもしれないし、対策本部室にいないといけないということで、昼も夜もずっとそこに詰めていて、いろいろな情報に対し、できる限り早く本部で取り組めるようにしました。
例えば、屋根にかけるブルーシートがないということで、いくつかの企業に電話をしてブルーシートが足りないから持ってきてくれとお願いしました。ところが今度は張る人がいない。そこで対策本部におられる自衛隊にもお願いをしたら、上司の命令がないとだめですと言うわけです。そこで、連隊長に電話をして、雨漏りもするので、どうにかブルーシートを張ってもらえないかとお願いをすると、「町長申しわけない、災害派遣活動では3つの原則(緊急性・公共性・非代替性)があって、民間企業を圧迫するような仕事は出来ない」と言われました。この時は2日ほど後に、自衛隊の人が来られてボランティアとしてブルーシート張りの手伝いをしていただきました。

決まりの中で動けない時にトップが行動

仮設住宅をつくるにも企業にお願いをしました。本田技研にお願いして、本田技研の独身寮だった場所を使わせていただくことにしました。さらに、本田技研の体育館を「ホンダ村」という形で、南阿蘇村の立野集落の方の避難所にもしてもらいました。
工業団地から出ていくという企業も出ましたが、この時は、どうか出ていかないでくださいと頼むとともに、すぐに県知事にも協力のお願いに行きました。
行政職員は決まりの中で動こうとするので「ダメです」というものが必ず出てくきます。こうしたことを早い決断で解決していくことは、トップにしかできないことだと思います。

まちづくりのたたき台を示して協力を得る

20年後ぐらいの将来には、少子高齢社会、年金、医療問題などの難題がやってくるかもしれません。だから、大津町は未来のその受け皿となるべく今回の経験を生かして今のうちから準備しておきたい。周辺地域から大津町に働きに来て地元に帰る。買い物や病院に行く時も大津に来る。大津町がそんな役割を果たせるまちづくりをしていきたいと考えています。
まちづくりというのは、住民の皆さんに夢を示して、目標に向かって協力してもらうようにしないとうまくいきません。一方、町民からは賛成の声もあれば、反対の意見もありますし、すべて行政任せという方もいる。平穏無事なときには皆さんの意見を聞いて進めていけばいいのでしょうが、こういう震災復旧で急を要するような場合には相談をするのも必要だけれど、ある程度のことはリーダーシップを発揮して進めていかないと難しいと感じています。
災害が起き、過去は失いましたが、未来は変えることができます。未来を変えるために、地域の過去の人たちのいい部分を引き継いで若者が住みやすい街がつくれるよう、人材を育成していくことが大切だと考えています。

 

家入勲氏 プロフィール

■生年月日
昭和17年5月3日

■学歴
昭和40年 3月 熊本商科大学商学部卒業

■職歴
昭和40年 4月 大津町役場入庁
平成13年 4月 総務課長
平成15年 3月 大津町役場退職
平成16年12月 大津町長就任

本インタビューから学ぶ危機管理トップの心得

冒頭にも書きましたが、このインタビュー内容だけでトップの行動の是非を検証することはできません。ただし、常にトップ、あるいは危機管理担当者が考えておくべきポイントはいくつかあったと思います。ここでは、「外部への協力要請」についての私見を述べさせていただきます。※あくまで個人的なもので、検証報告書の内容とは一切関係がありません。

外部への協力要請はトップの重要な役割
大津町長のインタビューからは、小規模自治体特有の悩みや課題が感じられました。特に、避難所において、住民からは「益城町はバナナが一本ずつ来ているのに、大津はまだ何も来ない、1日たっても握り飯ひとつか」と叱られたことや、おにぎりをビニールに入れて配ったら「こんなのはにぎり飯じゃない」と怒られたなど、耳を疑いたくなるようなお話もありましたが、これが被災の現場ということです。こうした中、大津町では、外部の支援を受けながら対応にあたったわけですが、県や消防機関、自衛隊などへの応援要請は首長の重要な役割です。しかし、実際に要請するとなると、迷いが生じるという話は過去の災害でも聞いたことがあります。本当に要請するほどの災害なのか、どう伝えていいのか、直前まで迷うそうです。
大津町長から、要請にあたって悩んだという話は出てきませんでしたが、おそらく、それまでに顔の見える関係がしっかりできていたということではないかと思います。特に民間企業に対して出ていかないように依頼に行くことは楽ではなかったはずです。民間企業が町から出ていくとなれば、税金が減るだけでなく、従業員も引っ越してしまうため、市にとっては長期的なダメージとなります。こうした事態に早い段階でトップ自らが対処したということは学ぶべき点だと思います。

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