「ヴェンゲルのアーセナル、最悪の補強ワースト5」

ついにアーセナルから退任することが決まったアーセン・ヴェンゲル監督。

ここでは、『talksport』による「アーセナル時代のヴェンゲルによる最悪の獲得」を見てみよう。

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元韓国代表FWパク・チュヨン(アーセナルで7試合1ゴール)

2011年夏にモナコから400万ポンド(現レートで6億円)で獲得。

当時のパクはリール加入間際で、メディカルチェックを受けているところだった。だが、アーセナルからの関心を聞くと、プレミアリーグ移籍という夢を叶えるために、ホテルを去りロンドンへと向かった。

ただ、彼はエミレーツにおいてレギュラーにはなれなかった。リーグ戦ではユナイテッドに2-1で敗れた1試合にしか出場できず。

唯一のゴールはボルトンとのリーグカップで決めたものだ。その後、セルタとワトフォードへのローンを経て退団している。

元イングランド代表FWフランシス・ジェファーズ(39試合8ゴール)

2001年夏、エヴァートンから800万ポンド(現レートで12億円)で獲得。

鋭い得点嗅覚を持っていたため、“Fox in the box(ペナルティエリア内のキツネ)”と評されたジェファーズ。グディソン・パークではそれを見せつけていた。

彼をすぐに引き入れるために行ったヴェンゲルによる抜け目がない獲得のように見えたが、高い買い物になってしまった。

“キツネ”と評価された頃の調子をアーセナルで見せることは一度もなく、怪我にも苦しんだ。そして、ティエリ・アンリの存在が彼を隅へと追いやった。

2002、2003年にはFAカップを連覇したが、ジェファーズはどちらの決勝戦でもプレーしていない。

アーセナルでの最後の試合となった2003年のコミュニティ・シールドでは、ユナイテッド相手に退場に…。その後、エヴァートンへのローンを経て退団した。

スイス代表MFグラニット・ジャカ(87試合7ゴール)

2016年夏にボルシアMGから3500万ポンド(52.7億円)で獲得。

今回の5人のリストのなかで最も議論になる名前だろう。だが、ジャカの一貫性のなさとファンの分離は、ヴェンゲルの最終年を映し出すものだ。

綿密なスカウティングの後にブンデスリーガから獲得された彼は、ヴェンゲルのチームが死ぬほど欲していたタフタックルなMFになると期待されていた。

だが、それから半年も経たないうちに、ジャカはタックルができないとヴェンゲルは認めた。彼の警告履歴(12枚のイエロー、2枚のレッドカード)は、それを雄弁に物語っている。

そして、守備に戻ることを嫌う姿勢は、不調時にサポーターからのターゲットになっていた。

元ブラジル代表DFアンドレ・サントス(33試合3ゴール)

2011年夏にフェネルバフチェから620万ポンド(現レートで9.3億円)で獲得。

アンドレ・サントスと元スパーズのブラジル人DFジウベルト・メロは、ブラジルも酷い選手を生み出すことができるという証拠だ。

加入直後の彼の滑り出しはよかった。移籍後3試合目となるCLオリンピアコス戦ではゴールも決めている。

その後、怪我もあったが、本当にファンを怒らせたのは、元アーセナルFWロビン・ファン・ペルシーとハーフタイムにユニフォーム交換をしようとしたことだった。

元ラトビア代表DFイーゴルス・ステパノフス(29試合1ゴール)

2000年にスコントから200万ポンドで獲得。

彼の獲得はアーセナルの選手たちを驚かせるものだった。なぜなら、ステパノフスのトライアルを見ていた選手たちは、契約のチャンスはないと思っていたから。なので、1週間後に4年契約で契約した際には仰天したのだ。

2001年に守備陣に故障者が相次いだ際、ヴェンゲルはユナイテッド戦のピッチにステパノフスを送り出さなければならなかった。

その結果、アーセナルはオールド・トラッフォードで1-6で惨敗。元アーセナルMFレイ・パーラーは自伝でこう綴っている。

レイ・パーラー(元アーセナルMF)

「冗談抜きに屈辱だった。(ロッカーに向かう)トンネル内をドワイト・ヨークと歩いていた時のことを覚えている。

『一体全体どっからからあのCBを獲ってきたんだ?』って彼は聞いてきたよ」

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