2008年のチームと共通点? 快進撃を続ける西武の強さは本物か

西武・辻監督【写真:荒川祐史】

巨人との日本シリーズを戦った2008年との共通点がある今シーズン

 4月17日、埼玉西武ライオンズは球団創設以来、初の東京ドーム本拠地開催をおこなった。「ライオンズ・クラシック」と命名されてはいるが、試合は1試合のみの単発イベント。だが、ライオンズにとって今後を左右する大きな試合になるかもしれない。

 チケットは発売から早期に完売。開幕以来、チームは絶好調。そして来場者全員にユニフォーム配布など、さまざまな要因も重なっただろう。だが試合開始前から東京ドーム周辺には、大げさではなく長蛇の列ができていた。西武初の東京ドーム本拠地ゲームということもあるが、関心は異常なほど高かった。

「あくまで今日の試合はライオンズ誕生40周年記念イベントという位置付けです。加えて所沢にかなりのファンが来ていただけるようになった。そこから少し進めて関東圏にファンを拡大して行こう、という意図もあります」

 そう語ってくれるのは広報部マネージャー増田貴由氏だ。「でもあの時と似ているなと思うこともあります。当時は片岡治大選手(現巨人2軍コーチ)、栗山巧選手、中島宏之選手(現オリックス)、中村剛也選手と軸がしっかり固まっていた。今年も秋山翔吾選手、源田壮亮選手、浅村栄斗選手、山川穂高選手。そういった部分では重なるんですね」

 あの時とは2008年シーズンだ。リーグを制し挑んだCS第2ステージ(現ファイナル)では日本ハムに1勝2敗から。日本シリーズでは巨人に2勝3敗から連勝で頂点に上り詰めた。続くアジアシリーズも1敗から3連勝でアジア王者になった。日本シリーズとアジアシリーズの舞台となったのが、ここ東京ドームだったのである。

チームの主将・栗山は当時を振り返り「チームの雰囲気も本当に良かった」

 同年8勝を挙げた西口文也投手コーチは振り返る。「確かに強かった。でも勢いというのはそこまで感じなかった。いつもと同じというか。プレーオフの勝ち上がりがああだったから、周囲の人たちにも言われましたけどね。でもあの時のチーム内はいつも変わらなかった。あのチームは勝っても負けても変わらずに元気があったしね」

「僕自身は現役を通じて東京ドームって好きじゃないんですよ。勝てなかったので苦手だった。なんでかわかんないんですけどね(苦笑)。だから現役時代、登板間隔を無理に中4日にしてもらって東京ドームを避けたこともありましたもん」

 08年当時からの主力選手、栗山は「やっていてあの年は楽しかった。みんな若かったし優勝したこともなかったから、とにかく懸命だったんじゃないかな。1試合ずつしっかりやることはやっていた。結果が出たのもあったけど、チームの雰囲気も本当に良かったと思う」

 栗山は08年167本でリーグ最多安打を記録。打率も.317でベストナインも獲得するなど、文字通り西武の顔に成長した。

 チームを率いたのは就任1年目の渡辺久信氏シニアディレクター(以下SD)。3度の最多勝を獲得した西武のレジェンドにも話を聞いた。

「正直、監督1年目だから必死だったのもある。でもあのプレーオフはうちのプラン通りに行った。うちが勝つにはあの形しかないので、それをどうやって徹底させるかだった。失点をできるだけ抑えて、少ないチャンスをなんとかものにする。ヤス(片岡)のギャンブルスタートもその中の1つ。流れも運も良かった。

 とくに日本シリーズなんてそう。だって当時の巨人は韓国の至宝イ・スンヨプや高橋由伸(現巨人監督)が代打で控えているんだから。戦力だけ見ればどうやっても勝てない。でもそれでも勝てるのが野球だから。現場、フロントみんなが意思を統一してプラン通りにできた。そういう意味でも格別な気分だった」

若い力で頂点まで駆け上がったライオンズブルーの戦士たち

 現役時代も東京ドームで数多く登板してきた渡辺SD。94年の巨人との日本シリーズでの写真が「アメリカで最も権威のある」と言われるスポーツ誌の表紙を飾ったことも。

「そんなこともあったね(笑)。そういう意味では縁の深い球場だけど、投げている時はやっぱり狭くてね…。でも他の投手が言うほどは嫌ではなかったよ。だって僕らはその前の後楽園球場で投げてたんだから(笑)。あそこは酷かった。ちょっと上がればホームランだもん」

 球団フロントの立場から今回のイベントをどう見ているのだろうか。「もちろん一番大事にしないといけないのは所沢だよね。でも大宮にもたくさんファンが来てくれる。東京ドームもそう。そうやって1人ずつでも西武ファンが増えてくれればね。個人的にはやっぱり08年のことを取り上げてくれるのも嬉しいしね。そういう年に久しぶりに勝ってくれたら、最高だよね」

 4万4978人。それにしてもお客さんがよく入った。もちろん中にはファンでなく、知り合いに連れられてきた人。招待券できた人など、様々だろう。しかし、それでも東京ドームはまさに立錐の余地がないほどの人、そして熱気に包まれた。所沢の集客も目に見えるように伸びている。間違いなくライオンズ・ファンは増殖している。かつて巨人と球界の盟主を争っていたころ、街中では「YG」だけでなく、「獅子」の帽子もよく見かけた。その時代に戻ろうとしているのか。

 西武は試合には惜しくも負けてしまった。源田壮亮の頭部死球、日本ハム・中田翔の一発など、いろいろなことがあった1日。しかしシーズンが終わった時、この4月17日は大きな意味を持った試合になるように思えた。10月。ここで日本シリーズを戦うライオンズ・ブルーの姿がよぎってさえ見えた。

 強い西武が戻ってくる。その時にはこの日、来場者に配られた08年仕様のユニフォーム姿が水道橋近郊にあふれる光景が再び見られるかもしれない。

(「パ・リーグ インサイト」編集部)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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