中日松坂、4241日ぶり白星に喜び爆発 「空きすぎていて抑えられなかった」

ヒーローインタビューで笑顔を見せる中日・松坂大輔【写真:荒川祐史】

6回8四死球も3安打1失点、勝利の喜びに「ああいう気持ちになったのは初めて」

 ついに、その時が訪れた。最後の打者ロペスの打球がフラフラと舞い上がり、遊撃・京田のグラブへと収まる。待ちに待った勝利の瞬間。「めちゃくちゃ嬉しかったです。喜びを爆発させるのはどうかと思ったけど、間が空きすぎていたし抑えられなかったです」。大歓声に沸くナゴヤドームのベンチで、中日・松坂大輔の笑顔が弾けた。今季3度目の先発となった30日のDeNA戦で、2006年9月19日のソフトバンク戦以来、4241日ぶりの白星。チームメートとハイタッチを繰り返し、久々の勝利の味を噛み締めた。

 中日ドラゴンズの一員として、初めて立ったお立ち台。満員札止めとなる今季最多3万6606人が集まった本拠地で「チームが苦しいときに、たくさんの人が入ってくれて、久しぶりの勝利を味わうことができて最高です」と喜びの第一声をあげた松坂。試合後には「勝って、どう表現していいのか分からないですけど、ああいう気持ちになったのは初めてか、久しぶりで忘れているのか、今までと違う感覚で(お立ち台に)立っていたと思いますね」とこの時の気持ちを振り返った。右肩故障を乗り越えての勝利。やはり特別なものだった。

 粘りの投球だった。与えた四死球はなんと8つ。毎回のように走者を背負いながらも、最後の最後のところで踏ん張った。DeNA打線に許したのはわずか3安打。5回に押し出し四球で1点を奪われたが、失点はこれだけで凌いだ。味方打線の援護は初回の3点だけだったが、6回114球を投げて、3安打1失点。リードを守り抜いて、今季3度目の登板で待望の勝利投手となった。

 右肩の故障に苦しみ続け、ようやく掴んだ白星。日米通じての勝利はメッツ時代の2014年まで遡るが、右腕の視線は未来にしか向いていなかった。「ここ何年も投げることができていなかった。今、試合に投げさせてもらえているだけで幸せなことで感謝していますけど、プロである以上、そこに結果が伴わないといけないので、結果を残していかないといけない気持ちが強いですね」。苦闘の日々は過去のこと。今は、1軍の先発投手として戦うこと、そして任されている以上は勝つことしか頭にはなかった。

獲得に尽力した森監督にも感謝「1年かけて恩返ししていくつもり」

 2015年、メッツからソフトバンクへと加入して日本球界に復帰。だが、3年間在籍したソフトバンクでは右肩の故障に苦しんだ。移籍1年目の8月には投手の命といえる右肩の手術に踏み切り、そこから長く険しいリハビリの日々を送った。状態が回復し実戦の舞台に復帰したと思えば、また不調が出てリハビリ組に逆戻りとなる繰り返し。日本全国の病院、治療院に足を運んでは、右肩の状態を回復させる道を探った。また、投げたい――。その一心だった。

 結局、ソフトバンクでは1軍登板1試合のみ。オフに戦力構想外となり、退団して新天地を求めることを自ら決断した。所属先の決まらぬ「平成の怪物」に手を差し伸べたのが、中日。西武時代から知る森繁和監督、友利結国際渉外担当の尽力により、テストを経て入団が決定。苦しめられてきた右肩の状態も良好で開幕から1軍の戦力となった。3度目の登板で白星をつかんだ。森監督にも恩返しの1勝となったが、「監督には1年かけて恩返ししていくつもりでいます。やっと1つ勝てたので、出来るだけ多くの勝ちを監督につけたいなと思っています」と感謝の思いを口にした。

「僕が投げる時にたくさんの人が球場に来てくれて感謝しています。僕が投げる試合だけじゃなく、他の投手たちが投げる試合にもたくさん来てくれたらいいなと思います。よろしくお願いします」。お立ち台でファンにこう呼びかけた松坂。ついに掴んだ初勝利。止まっていた松坂の時計の針が動き出した。ここからは中日ドラゴンズの勝利のため、マウンドに上がっていく。

(Full-Count編集部)

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