「リレーコラム」引退報道の真意は「謎のまま」 フィギュア・ペアの川口悠子さん

ロシア・サンクトペテルブルクでインタビューに応じる川口悠子さん(共同)

 1月下旬、どうしても会いたい人がいて1泊2日でロシアを訪れた。

 サンクトペテルブルク空港の到着ロビーで待ち合わせた小柄な彼女は、流暢なロシア語でコーヒーショップの店員と言葉を交わすと「わざわざ遠いところまですみません」と頭を下げて席に座った。

 川口悠子さん(36)。2009年にロシア国籍を取得し、フィギュアスケートのペアで同国代表として10年バンクーバー冬季五輪4位入賞を果たしたトップスケーターだ。

 昨年9月、タマラ・モスクビナ・コーチの話として伝えられた引退報道の真意を、直接本人に確かめたかった。

 「未練」「悔しさ」…。引退に至るまでの経緯を初めて聞いて、彼女の葛藤を知った。

 ロシア開催だった14年ソチ五輪にはパートナー、アレクサンドル・スミルノフの右膝負傷の影響で出られず、競技人生の集大成として平昌五輪出場を目指していた。

 川口さんは16年のアキレス腱断裂から復帰し「やっと体も動いてきたところ。五輪を目標にというだけでなく、とにかく自分の滑りをもう一度見せたかった」という。

 しかし、シーズン開幕を控えた昨年9月にロシア・スケート連盟から「引退届にサインしてくれ」と突然宣告された。

 同月には連盟主催のテスト、年末には五輪代表選考会を兼ねるロシア選手権が控えていた。

 「トライしてやっぱり駄目だった、さよならと言われるなら良かったけど。理由は謎のまま。私はまだまだ滑りたかった」

 サインに踏み切ったのは、パートナーとの温度差を感じていたからだという。

 スミルノフは川口さんが故障で離脱中、競技と指導を両立するようになった。「サーシャ(スミルノフ)はコーチの仕事が楽しいみたいだし、彼には家族がいるから働かなきゃいけない。私は『いけいけ、ゴーゴー』タイプだけど、彼は守りのタイプ。サーシャはとにかく働くことが優先だった」

 スミルノフは地元メディアに「ロシア選手権に向けて頑張る」と語っていたが、川口さんには「練習を見る限り、そうは思えなかった」。

 男女二人の心が一つになって紡ぎ出すペアの世界。ロシアの母と慕うモスクビナ・コーチの勧めもあり、苦渋の決断を下した。

 日本の国籍を捨てる。それは相当な決意が必要だったはずだ。ただ、川口さんは「あまり深く考えていなかった」と笑う。

 1999年に日本を離れてペアに転向し、その後ロシアに渡ると、06年にスミルノフとコンビを結成した。

 「サーシャともっと本気で滑りたいと思った時に、五輪に出なければ彼もコーチも本気になってくれないかなと思った。好きなスケート、自分の滑りをいいパートナーと実現するための手段。それが国籍変更だっただけなんです」と振り返る。

 ジュニア時代にシングルの選手として活躍したが、練習拠点だった千葉県内のリンクで川崎由紀子、アレクセイ・ティホノフ組に憧れ、ペアを描いた漫画「愛のアランフェス」の影響も転向を後押しした。

 当時は誰も成功していなかったスロー4回転ジャンプをやりたいというのも、一つの要因だったという。

 「シングルで3回転を跳べていたから、投げてもらえば4回転を跳べるかなと。安藤美姫ちゃんが4回転を跳ぶようになり(指導を受けていた)都築(章一郎)先生から『おまえも跳んでみろ』とトリプルアクセルや4回転に挑戦させられていましたし」

 だからスミルノフと武器に加えたスロー4回転サルコーを、もう一度試合で観客に見てほしいという思いもあった。

 今、川口さんは指導者とプロスケーターの道を歩みだしている。モスクビナ・コーチのクラブで若い選手を教え、サンクトペテルブルクに住む日本人を対象としたスケート教室も始めた。

 日本でペア選手の育成に尽力することも考えたが「日本にはコーチの場所がない。ペアの選手も少ない」と指摘されて諦めた。

 「ペアの日本選手も北米を向いていてロシアには来ない。オファーがあれば日本で教えたい気持ちはある」と明かす。

 プーチン大統領の母校で国際関係学を専攻し「北方領土」をテーマに卒論をまとめたこともあり「今後は日ロ交流の懸け橋にもなれたらいい」との考えも持っている。

 「ロシアのパスポートがあるうちに北方領土を訪れてみたいし、20年東京五輪でも何かお手伝いできたらいい」と夢は広がるばかりだ。

 約2時間のインタビューに応じてくれたこの日、川口さんは日本から訪れていた母親を見送るためにちょうど空港に来ていた。

 「いつでも帰ってきなさい」。母にはそう言われるという。ロシアに移り住んで最初の3年くらいは、一時帰国した日本から戻るたびにじんましんが出た。

 気むずかしく見えたロシア人も、言葉が話せるようになると「実は人なつっこくて世話好き。ユーモアもある」ことが分かった。

 「私はロシアと日本の真ん中にいる。長く住んでロシアのいい部分も悪いところも理解できた」。そんな自分にしかできないことがあると感じている。

井上 将志(いのうえ・まさし)プロフィル

2003年共同通信入社。名古屋でプロ野球中日、フィギュアスケート、本社運動部でフィギュア、体操、東京五輪組織委員会を中心に担当。五輪は10年から夏冬計5大会を取材した。現在はジュネーブ支局で国際オリンピック委員会や各競技を追う。東京都出身。

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