禁教期の伝統受け継ぐ信仰文化「守り続ける決意」 かくれキリシタン信者の舩原さん

 平戸市生月支所長を務める舩原正司(ふなばらまさし)さん(56)=長崎県平戸市生月町=は、潜伏キリシタンの伝統を受け継ぐ「かくれキリシタン」として信仰を続けている。「先祖や地域のあつい信仰心があったからこそ、今の私たちがある」。国際記念物遺跡会議(イコモス)が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録を勧告したことに喜びの表情を見せた。
 かくれキリシタンは、1873年にキリスト教の信仰が解禁された後も教会に属さず、禁教期の信仰形態を続けている人たちだ。舩原さんは、かくれキリシタンで知られる生月島の山田地区生まれ。父博司さん(81)はかくれ信者の長老「おじ役」を務めた。舩原さんは34歳の時、さまざまな行事を取り仕切る「おやじ役」になった。
 潜伏キリシタン遺産には、生月島の沖に浮かぶ無人島「中江ノ島」も含まれる。キリスト教が禁じられた江戸時代にキリシタンが処刑された殉教地であり、かくれ信者の聖地だ。舩原さんも「おやじ役」になって以来、たびたび島に渡り、岩の裂け目から染み出す「お水」と呼ばれる聖水を採取する「お水取り」の儀式を行っていた。
 生月には「垣内」と呼ばれるかくれ信者の組織がある。山田地区には過去、複数の垣内があったが次々に解散し、今では舩原さんら2戸でつくる一つだけになった。地区の「お水取り」の儀式も途絶えて20年近くになる。「禁教期の迫害の中でも先祖は信仰を捨てなかった。自分が元気なうちは守り続けたい」
 自宅には、イエスを抱いた聖母マリアを描いた先祖伝来の聖画を祭る。復活祭に当たる「お祝い」などの行事も続けている。オラショ(祈り)は昔のように暗唱せず、祖父の代からノートを見ながら唱えている。無理なく信仰を続けられるようにという工夫だ。
 生月島はかつて、ほぼ全住民がかくれ信者だったといわれる。しかし、時代の変化とともに役職者を継ぐ人が不足して組織が次々に解散し、現在は約300人に減っているという。「メディアなどを通して多くの人に伝え、記録に残してもらうことが自分のやるべきこと」。禁教期の伝統を受け継ぐ貴重な信仰文化を伝えていく決意だ。

自宅に祭る聖画にオラショをささげる舩原さん=長崎県平戸市生月町

© 株式会社長崎新聞社