【特集】分断の歴史に終止符を

南北首脳会談 在日コリアンにとって希望

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卓球世界選手権団体戦を終え、統一旗を囲みポーズをとる女子の南北合同チーム「コリア」=5月4日、スウェーデンのハルムスタード(共同)

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅大統領は4月27日、10年半ぶりの南北首脳会談で「板門店宣言」に署名、朝鮮半島の「完全な非核化」や、年内の朝鮮戦争の終戦表明に合意した。実現すれば、南北対立によって分断され、辛酸をなめさせられてきた在日コリアンにとってこれほど喜ばしいことはない。(共同通信=大阪経済部・李洋一)

 ▽分断された在日コリアン

 私は32歳の在日コリアン4世だ。朝鮮戦争を直接経験したわけではないが、10代のころ、北朝鮮のミサイル発射や核開発を伝えるニュースをテレビで見て、恐怖を感じたのを今でも覚えている。戦争に巻き込まれるのではないかという不安もあったし、自分が学校でいじめの標的になるのではないかという心配もあった。2002年の日朝首脳会談で金正日総書記が日本人拉致を認めた時には、強い衝撃を受けた。

 なぜ北朝鮮はこんなことをするのだろう。いろいろな人から話を聞いたり、本を読んだりする中で、朝鮮半島が1910年の日韓併合により植民地化され、45年の日本敗戦後は米ソ冷戦構造の中で南北に別れ、互いに憎み合うようになった経緯を学んだ。

 ただ、法事の時などに親戚から日本で生活していく上で苦労した話はよく聞いたものの、南北の対立に伴う身内同士の争いについては聞いた記憶がない。「それぞれ立場が違うし、ケンカになるから、政治的な話は意識的に避けてきた」。今回、改めて父親に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。

 ▽帰国事業を巡る取材での気付き

 こうした南北対立を巡る在日コリアンの微妙な空気感を肌で知ったのは、記者になってからだった。朝鮮学校の関係者を取材した際、59年に始まった北朝鮮への帰国事業について話を聞く機会があった。

 韓国が今よりずっと貧しく、政府が強権的で、済州島で島民数万人が軍などに虐殺された「4.3事件」の記憶も生々しかった当時、日本で苦しい生活を強いられていた在日コリアンにとって北朝鮮は、仕事や学びの機会に恵まれた「地上の楽園」と信じられていた。教師をしていた高齢の在日コリアン男性は、教え子に帰国を強く勧めたとした上で、「祖国のために力を尽くしてくれて誇らしい」と言い切った。顔には深いしわが刻まれていた。

 同じ学校に通っていた高齢女性は、北朝鮮に渡ったきょうだいとたまに現地で会うものの、決して政治の話はしないと言っていた。どこで誰が聞いているか分からないし、下手なことを言うときょうだいが不利な立場に置かれかねないからだ。一方、多くの友人が北朝鮮に渡ったものの、ほとんどと連絡が取れないという別の高齢女性は「私たちはだまされた」と憤っていた。

 私の母親は、小学校の低学年だった当時、テレビで帰国船のニュースを見て、「私も帰らないとあかんの」と不安になって祖母に聞いたそうだ。祖母はそれに答えず、じっとブラウン管を見つめて泣いていたという。

 祖父母の世代の人たちが、それぞれの置かれた立場で選んだ行動について、とてもではないが私には評価することはできない。ただ、北朝鮮が多くの人にとって地上の楽園でなかったことは明らかだし、悲しい歴史だと思う。

 ▽融和への期待

 2000年にあった初の南北首脳会談後には、立場を問わず多くの在日コリアンが手を取り合い、喜び合ったが、その後、希望は失望に変わった。今回の板門店宣言はどうだろか。一番苦労をした祖父母の世代の人たちが、生きている間に南北を自由に行き来し、家族や友人と抱き合うことができれば、これほど喜ばしいことはない。

 国家間や、その内部のパワーゲームの中で損をするのはいつも決まって弱い立場の人たちだ。今回の動きがどう転ぶにせよ、私は、いろいろなことに振り回されてきた人たちの側に立ち、その行く末を見届けたいと思う。

南北首脳会談を受け、笑顔でパレードする在日コリアンの若者ら=4月27日午後、東京・JR新宿駅前
会談を前に、韓国の文在寅大統領(右)と手をつなぎ軍事境界線を越える北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長=4月27日、板門店(韓国共同写真記者団・共同)