ライトフライ級で昨年9月に2度目の世界王座防衛を果たした田中恒成(たなか・こうせい)(22)は、試合中に両目の眼窩(がんか)底を骨折してしまった。日本人同士の王座統一戦という夢は消滅。骨折さえなければ…。一時は落ち込んだが、次の目標を世界最速3階級制覇に切り替えた。階級を上げたフライ級初戦に勝利するまでの半年間、けがを糧に〝チーム田中恒成〟が成長する姿を追った。
▽父の覚悟
恒成は昨年秋、けがの治療で一カ月半ボクシングを離れた。その間、支えてきたチームも活動が落ち着いた。トレーナーを務める父斉(ひとし)(51)にも、先のことを考える時間ができた。
仕事を終えると、ボクシングジムまで車で1時間半かけて通う日々だった。仕事の疲れを表に出すことなく、毎日欠かさず練習に付き添いパンチを受けてきた。
「このまま会社に通いながらトレーナーを続けるのか」
自身の体力を考えても、これから10年、仕事と両立するのは現実的ではない。
恒成と一緒に始めたボクシングは斉の夢でもあった。トレーナーに専念したい。が、サラリーマンを辞めれば収入がなくなる。三日三晩ろくに眠れずに考え続ける中、最後に背中を押したのは、自信を取り戻そうと懸命にもがく息子の姿だった。
「定年までの残り10年分のサラリーよりも、大事なのは恒成たちと歩んできたこの道のり。やるしかない」。迷いは消えた。
▽深まった絆
「俺は父さんのことを全く信用してない。今までも一人でやってきた」。2018年1月の新年会。親しい仲間や家族が集まった席で、恒成は言い放った。周囲は、にわかにざわついた。
だが、斉だけは言葉の真意を感じとる。「あいつも覚悟を決めたんだな」。斉には、恒成なりのトレーナーに対する信頼と期待の裏返しに聞こえた。
3月末、名古屋国際会議場のリング。試合はフライ級での世界前哨戦であると同時に、けがからの復帰戦でもあった。
会場にイメージソング、英ロックバンド「クイーン」の「アイ・ワズ・ボーン・トゥー・ラブ・ユー」が流れる。歓声が飛び交う中、最初に現れたのはジムの畑中清詞(はたなか・きよし)会長(51)と斉だ。恒成の姿はない。
「今回は会長と先に行く。お前は後から来い」。斉が直前にそう伝えた。「しっかりとリズムとって、自分のペースで来い」
試合前に人から指示されることを嫌う恒成も、この日は素直にその言葉を受け止めた。
「ピリピリした中で俺が言うことを聞くなんて。チームが良い状態でした」
リングに上ると、前回痛めた両目がズキズキとうずきだした。恒成は自分に言い聞かせた。「おまえ、痛くないだろ。嘘つくなよ。もう治っているはず。勝って、自信を取り戻すんだ」
▽1年ぶりの笑顔
開始を告げるゴングが鳴ると痛みは消えた。
リング上の恒成と、下から見守るトレーナー斉。思いは一つだった。「あの骨折を糧に、良い方向につなげる。勝って自信を取り戻す」
恒成はスピードを武器に、4回、対戦相手のロニー・バルドナドから左ボディでダウンを奪う。打たれ強い相手に対し、8回からヒットアンドアウェイに戦術を切り替え、9回TKO勝ち。
レフェリーが試合を止めると、リング上の恒成に約1年ぶりの笑顔が戻った。「またボクシングが楽しくなってきた。もっと広い景色が見てみたい」。
観客の声援に応えリングのコーナーに戻る恒成の背中に、斉がそっとタオルをかけた。
畑中会長、プロモーター、フィジカルトレーナー、そして父斉。けがを乗り越え、一回り成長した〝チーム田中恒成〟は、三階級制覇という新たな目標に向けて動き出した。(敬称略、年齢などは取材当時、共同通信写真部・稲葉拓哉30歳)
田中恒成選手のツイッターはこちら→https://twitter.com/KOsei615
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