【ルポ・福島】避難解除で再開した学校 戻る子どもの声、残る不安

なみえ創成小1、2年の体育の合同授業で、サッカーボールを蹴る児童=4月16日午前、福島県浪江町

 東京電力福島第1原発事故による避難指示が解除された福島県の5町村で4月、小、中学校が再開した。ただ放射線への不安は依然残ったままだ。学校の主役であり、地元の未来や希望でもある子どもたち。再生へ向けた一歩となるのか。教育現場を訪ねた。

 ▽負担
 4月中旬の早朝、スクールバスが福島県三春町を出発した。まだ肌寒い中、原発事故で町に避難する児童・生徒らが、今春再開した葛尾村の学校に向かう。
 バスに柔らかい朝日が差し込む。乗り場まで付き添って来た家族に手を振る小2の女児。1時間ほどの道のりをバスが走りだすと、次第にうとうとし始める。毎日往復2時間。小さくない負担のようだ。

 車窓に流れる畑や杉林。対向車とすれ違うのがやっとの細い道をいくつも抜ける。冬場に雪が積もると、さらに通行は大変そうだ。

 村に入った。目につくのは、所々に仮置きされたままの汚染土。事故が続くことを物語っていた。

 ▽マンツーマン
 「やったー、新しいノートだ」
 葛尾小。1、2年の教室で、2年の杉本蒼(すぎもと・そら)さん(7)らの声が響いた。この日の1時間目は国語。目を輝かせながら、届いたばかりのノートや漢字ドリルにせっせと名前を書く。元気な声で音読する2年生。1年の松本功記(まつもと・こうき)君(6)は黙々とひらがなの練習を続ける。

 

再開した葛尾小で、国語の授業を受ける2年生=4月16日9時ごろ、福島県葛 尾村

4時間目の授業後、みそ汁や豚丼の匂いが立ちこめる明るいランチルームで、教師と児童がテーブルを囲んだ。通うのは2年2人と他学年各1人の計7人。休み時間は教師も交じって、全児童が校庭で遊ぶ。

ランチルームで、教師と給食を食べる児童=16日、福島県葛尾村の葛尾小

 蒼さんの母親の里美(さとみ)さん(27)は「先生が子どもたちの個性を分かっているし放課後宿題を見てくれる場所もある」と学校のマンツーマン指導を評価した。

 葛尾村の一部には現在も帰還困難区域が残り、避難を続ける住民も少なくない。蒼さんは2年ほど前に家族と村に戻ったが、昨年度は村の学校が再開されなかったため三春町の学校まで通っていた。「学校まですごく近くなった。新しく来た先生とも仲良くなれた」。うれしそうな表情を浮かべた。

 ▽手探り
 春を前に、保護者の心は揺れた。再開する村の学校か、避難先の学校か、子どもをどちらに通わせるか―。別の2年女児の父親は「『葛尾がいい』という娘の意見を尊重した」と村の学校を選んだ理由を説明した。

 母親は、娘が故郷に愛着を持つきっかけになるのではないかと考えた。自身も村の小学校を卒業し、郷土愛は深い。一方で迷いもあった。村には依然、放射線量の高い区域もあるからだ。「線量計を持たせ、管理を徹底するつもりです」。複雑な心境をうかがわせた。

 村の学校には戻らず、避難先の自治体にある学校を選んだ保護者もいる。「三春の学校に行ってほしい」。3年女児の父親は、娘にこのように伝えた。村で再開した学校は児童が少なく、社会性が身に付くのかなどに疑問を覚えたからだ。「ベストな教育環境を選んだつもりだ」と強調した。

 児童を受け入れる学校側も手探りを続ける。避難先で生活基盤ができた人も多く、再開した学校に通う児童は少ない。遠藤裕一(えんどう・ゆういち)校長は、ほかの学校と合同で体育の授業を行うことなどを計画しており、「少人数であることをプラスにとらえて、子どもたちに寄り添った魅力的な教育を発信していきたい」と話す。

 子どもたちの遊び場や児童館の確保など課題は多く、教育環境を心配して再開した学校に子どもを通わせない保護者もいる。だが、教育関係者の間では「そうした課題を乗り越えることが原発事故後の社会づくりには必要」という声がある。

 避難地域の学校教育に取り組んできた福島大の中田(なかた)スウラ副学長は「新たな価値観に基づいて地域社会を創造すべきだ」とし、柔軟な対応の必要性を訴える。

 「町村の枠を超えて子どもたちが一緒に学ぶ集団教育を実施したり、インターネットを使った遠隔通信授業を行ったり工夫できる。学校側は長期的展望を持った丁寧な情報発信をしてほしい」

 ▽1%
 福島県では、12市町村の学校が原発事故で避難を余儀なくされた。今春の5町村での再開で、第1原発が立地する双葉町と大熊町を除く10市町村の学校が地元に戻った。ただ児童・生徒数は激減。浪江町では事故前の1%にも満たない。

 なみえ創成小。4月に開校したばかりで、校舎は白く塗り直され、校庭の芝の緑が目に鮮やかだ。1、2年の体育の合同授業。計5人が校庭でボールを蹴ったり、お手玉を箱に投げ入れたりする。青空の下、笑顔があふれる。「仲良しだから人数が少なくても寂しくない」と1年の女児。入学して間もないが学年の壁はなく、既に打ち解けていた。

校庭のブランコで遊ぶなみえ創成小の児童=4月16日午前、福島県浪江町

 一方で保護者には放射線の影響への不安が消えない。学校を出ると、一角に町が整備した真新しい一戸建てが立ち並ぶ一方で、雑草に覆われた田んぼや、カーテンが閉じられたままの民家も残り依然、復興の途上であることを示す。
 女児の母親(31)は「町全体を除染したわけじゃないから、どこからどこまでが大丈夫か分からない」と声を落とした。

 ▽存続
 浪江町に帰ったのは高齢者ら人口のわずか4%ほど。本来の姿には遠い。「年寄りだけじゃ町がつぶれる。子どもの声が聞こえるのはいい。希望になる」。避難先から戻り、近所に住む無職鎌田圭治(かまた・けいじ)さん(75)は学校の再開を歓迎した。

 教師にとって学校再開は、希望であり挑戦でもある。1年生の担任今泉好子(いまいずみ・よしこ)さん(55)は「古里の復興のためにできることは、教壇に立つこと」と希望して赴任した。
 自身も町で生まれ育ったが、原発事故で福島県いわき市に避難している。車で1時間以上かかる通勤も覚悟しての選択だった。

 「子どもが帰ってきて『町が続いている』ことを多くの人に知ってほしい」。願うように言った。校内に、子どもたちの元気な笑い声が響いた。(共同通信福島支局=比嘉慧、高村笑里花)

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