選手見詰め名采配 栽監督手帳、教え子「初めて知った」

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 県外大学(中京大)で学んだ指導者の先駆けとして沖縄の高校野球に理論や技術論に裏打ちされた指導法を持ち込み、県内球界のレベルを底上げした栽弘義さん。沖縄水産高校時代には夏の甲子園で1990年、91年と連続で準優勝した。甲子園通算29勝18敗の戦績の裏には、思ったことなどを試合中にすぐにメモをする手帳の存在があった。今回、その中から90、91年の6冊が公開される。手帳の内容に教え子たちは「監督の気持ちを初めて知った。当時の各場面が鮮明に思い出される」などと喜ぶ。砂ぼこりで薄茶色に染まった手帳には選手への厳しい言葉、そして暖かい言葉が並んでいる。

 沖縄水産高校時代に栽さんの元で部長を務め、初の準優勝を経験した當銘和夫さん(68)=豊見城市=は「ノートが出てきたことがびっくり」と驚きを隠せない。栽さんはユニホームのズボンの後ろポケットに手帳を丸めていたという。「ほかの人に見せることはなかった。ちらっと見たことはあるけれど読める字ではなかったよ」と語る。

 甲子園ではチーム全員で次戦の相手をビデオでリサーチし、メモにしたノートは當銘さんを通し、栽さんの手に渡った。目を通し、気づいていないことなどを手帳に記して、ミーティングで話していたとみられる。部長として一緒に挑んだ90年決勝の天理戦。1点ビハインドの九回裏の攻撃は「9回裏 (大城)剛二塁打」で終わり、大飛球での終幕に関する文字はなく、空白が残った。近くで栽さんの様子を見ていた當銘さんは「放心状態となり、ノートを握っていなかったのかもしれない」と空白に思いをはせた。

 準優勝を2度経験し、エースとしても奮闘した大野倫さん(45)=うるま市=は数日前に、実際にノートの中身を見た。「大野、久しぶりに速い球を投げる」という言葉も見つけた。「選手を褒めることはほとんどなかっただけに、評価する言葉も多く驚いた。どうして言ってくれなかったんだろう」と苦笑いしつつ「今の指導者の教材ともなる貴重なものです」と話した。

 同じく2度の準優勝メンバーの屋良景太さん(45)=那覇市=は「屋良、超ファインプレー」「屋良粘ってヒット」などの文字に「選手を見てくれていたことをあらためて感じた」と話した。90年の準優勝時に1番打者として活躍した新里紹也さん(45)=沖縄市=は「紹也、指示通り右打ち」「カーブをレフトオーバー本塁打」などと評価する言葉に「一人一人をきちんと観察していたからこそ、毎年全国で成績を残せたと思う。継続して勝つことは本当に難しかったと思う」と懐かしんだ。