「ハリルは日本に合わなかった」論に騙されてはいけない

ワールドカップ2ヶ月前の監督解任。そろそろ1ヶ月が経つが、まだその「ハリルショック」が心の痣として残っている。

しかも、14日には本田圭佑選手が「プロフェッショナル」に出演し、監督解任の舞台裏を明かすという事前告知もあった(のちに撤回されたが)。

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内容については見てみないとわからないが、どっちにしろまたこの件についての議論が紛糾することになるはずだ。

本当は『日本代表、ハリル解任がもたらすかもしれない「好影響」5選』でちょっとした皮肉を言って、これですべて切り替えようと思っていた。

しかし、どういうことか「この監督では勝てないと思った」「ハリルは日本に合わなかった」という意見が出てくる。

いやいやいや、ちょっと待てと。

別に解任賛成派、反対派のどちらに付きたくもないが、それはちょっと本筋を外しすぎているのではないか。

意図的にズラしているのかどうかは不明だが、この問題を評価するにあたってとりあえず「合わなかった」「勝てないと思った」論を排除すべき理由を書いておきたい。

ハリルの職責は何か?

ハリルホジッチ監督に与えられた職責は何なのか。それはワールドカップ予選を突破し、本大会で成績を残すことである。

具体的な目標は与えられなかったとしても、代表監督は特殊な場合を除いて大きなコンペティションで成績を残すことが責任だ。「コミュニケーションをうまくやる」ことは決して必要な条件ではない。というより、それは別に協会側からでもできることだ。

選手と監督が断絶していても、それが必ずしも悪い方に出るわけではない。主力選手が排除されても、それが結果的に好影響を及ぼすこともある。

サッカーに限らず、なんでもそうである。被雇用者は結果を出すことが職責で、コミュニケーションの良し悪しは目標を達成するための一種の手段でしかない。

お笑いコンビや人気バンドも、仲が悪いのは当たり前。メンバーの間には直接の利害関係があるのだから、何も問題がないほうが珍しい。それでもネタが面白ければ、音楽が良ければいいのだ。金で揉めさえしなければ…いやしかしだいたい金で揉めるのだが…。

したがって、「日本に合うか合わないか」を判断する材料はワールドカップでの内容以外になにもない。

ハリルホジッチの性格がたとえ酷いものだったとしたとしても、「合わないから解任は正しい」と主張できる段階にはない。逆に監督が「敵」になることで選手が団結することだってある。

トルシエのことを言っているわけではないが、性格が日本人と合わない監督のほうが本大会は勝てるかもしれないじゃないか?

もし「日本人と性格が合わないから解任は正当」を主張するなら、ハリルホジッチの最も大きな職責は「チームといいコミュニケーションをすること」になってしまう。

それではもう、サークルじゃないか…。あ、二人サークルクラッシャーがいたっていうこと?

経由地のために目的地を曖昧にしてどうする?

いや、日本サッカー協会がそれを理由に解任するのは、不可思議だとは思うが、その権利はある。協会は経営も考えなければならないし、結果だけでは食っていけない。このワールドカップの後も、サッカーは続いていくのだ。

クラブチームの監督解任も、「成績不振が理由」とは言いつつも、基本的には経営判断である。低迷していれば経済的にダメージがあり、降格すれば致命的なことにもなりかねない。「監督解任」は「投資をする」ということでもある。だから失敗もする…。

問題は解任に関する議論だ。一つの手段に過ぎないものであるはずの「コミュニケーション」が、なぜ結果を出すための必須条件のように語る者がいるのか。

ここからは例え話だが…。

東京から大阪に行くために、別に名古屋を必ず通らなければならないわけではない。新潟から金沢を回ってもいいし、車で長野から福井に抜けてもいい。ところが、「効率的に行くには必ず名古屋を通るべき」という「かくあるべき」論が出てくる。

しかし、サッカーなら相手がいる「戦」だ。東海道新幹線で来れば効率的なのは相手もわかっているし、それを止めてくるのだ。結局北陸周りで行ったほうが早いかもしれない。

コミュニケーションという手段もそれと同じだ。良いほうがいい結果が出る場合もあれば、悪いほうがいい結果が出る場合もある。

どこを理想的とするかは人による。相手にもよる。環境にもよる。天気にもよる。

このところサッカーの戦術論が盛んになっており、ポジショナルプレーや5レーンなどいろいろな用語が飛び交う。「欧州最新の理論を学ばなければならない!」という言説もよく見るが、それも「かくあるべき」論だ。

本来は、ターゲットとしている試合で相手に勝つことだけが目標であるはず。そのための戦術は数多にあり、それが最新のものである必要もない。

姿勢がまだ「戦うための学び」になっていないのだ。

本来「戦士」が戦うべきところを、今は「学者」や「先生」が戦っているような…。あ、ファイナルファンタジー3ですね。ファミコン版では本で敵をぶん殴ってましたが。

サッカーの最終的な目標は「勝つこと」

ポジショナルプレーをする相手に勝つためには、それを壊す手段さえあればよい。

テレビを破壊するためには、テレビの構造を学んで、あらゆる種類のドライバーやレンチを用意する必要はない。

力があるなら鈍器を用意すればよい。時間があるなら風雨に晒して劣化を待ってもいい。金があるなら素手でぶっ壊せるような怪力男を雇う手もある。軽トラがあるなら崖に持っていって落としなよ。

結局、ポジショナルプレー(でもゲーゲンプレスでもパスサッカーでも何でもいいが)をすることが勝利に直結するわけではない。その概念をどう使っていくかが勝利に「繋がるかもしれない」だけだ。

誰かのやり方を取り入れるだけなら、その時点で負けている。解析して、ぶち壊す手段を考えて「学び」になる。逆に一つの概念だけに囚われてしまえば、相手も対処は容易になる。日本代表程度の個人能力ならば、弱点を見つけるのは簡単だ。

海外に行くことは見識を広げられる機会であるはずが「あの国ではこうだからこうすべき」「欧州ではこうだからこうすべき」とむしろ視野が狭まってしまう人もいる…。

独自の何かを追求することがガラパゴスなのではない。相手を認識し、尊重し、そしてそれに勝つためにあらゆる手を尽くす…そうなれば、結局いくつかの点で独自の道を歩む必要は出てくるだろう。

むしろ、方法が最先端の国際的なものであったとしても、相手を考えずに使うのならそれこそガラパゴスだ。やりたいことをやっているだけでは精神的引きこもりだ。

ハリルホジッチが本大会に向けて何らかの手段を隠していたかどうかは本人以外わからない。誰もわからないのだから、それを推測して根拠にするのもおかしい。彼が残留していれば勝ったか。それとも負けたか。監督が替わった今、それはもう永遠のナゾである。結論は絶対に出ない。

重要なのは今後の日本サッカーをどう進めていくかということ。そのためにはまず冷静な議論と評価が必要だ。それを日本サッカー協会に求めるのであれば、我々ファンや記者も感情的になってはいけない。誰かを信奉してもいけない。想像も必要ない。

まずはワールドカップで勝ってから考えよう。この状況ではもはや、誰も結果オーライにはしないはずだからね。

あ。想像しちゃったな。想像って言っちゃったね。これじゃ籠信明さん、自分自身を貶めるだけだと思うのだけど〜。

筆者名:籠信明

福井県と京都府を本拠地として活動。フランス、ポルトガル、アジア、アフリカなどのサッカーが得意分野で、海外ではPSGとヴィトーリア・ギマランエスのファン。「なぜか喋れるライター」として最近バニーズ京都SCのスタジアムDJ、日本代表パブリックビューイングのゲストコメンテーター、コンサートやイベントの司会なども務めている。『ハリルホジッチ思考―成功をもたらす指揮官の流儀』『AFCアジアカップ オーストラリア 2015 オフィシャルマガジン』など共著。

Twitter: @cage_nob

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