草分けの時代から変わらぬ女性蔑視 【財務次官セクハラ問題】女性史研究者 江刺昭子

By 江刺昭子

 

大沢豊子(撮影年不明、筆者提供)

 明治時代後期に始まる草分けの女性新聞記者14人の列伝を書いたことがある。

 そのうちの1人、大沢豊子は1899年、福沢諭吉が創業した時事新報社に入ったものの、百人あまりの編集室に女はただ1人。女でも字が読めるのかと言う人がいるくらいで、まるで珍獣扱いされた。彼女が少しでも動くと男たちの目がピカピカ光る。男性記者と口をきくだけで色恋のうわさが立つ。

 ■トイレにも行けず
 その目に囲まれて、昔かたぎの家庭教育を受けている彼女は弁当を食べられず、トイレにも行けず、仕事の用以外は不言不語を貫き、そうすることで身を守り、25年の記者生活をまっとうした。他にも多くの女たちが記者をめざしたが、女を一人前の職業人として認めず、性的な対象としか見ない社内外の扱いに傷つき、ほとんどの人が数カ月から数年で新聞社を去っている。

 現政府が礼賛しきりの「明治150年」を働く女の側から見た一例だが、大沢の入社から120年たった今、女性記者が働く環境はどれほど変わっただろうか。

 戦後、女性記者は徐々に増えたが、長らく点の存在でしかなく、新聞の場合はほとんどが婦人面・家庭面の担当だった。現在、報道現場で働く女性記者比率は20%近くになり、政治、経済、スポーツなどの最前線にその姿が見られる。とりわけ男性記者の独擅場だった政府高官の会見場で昨年、女性記者が鋭く、しつこい質問を繰りかえし、政権と記者とのなれ合い会見に一石を投じた。遅々として進まない女の政治参加に、メディアの側から風穴をあけたともいえる。

 ■堰を切ったように

 しかし、彼女たちに尋ねてみれば、セクハラに遭ったことのない人はいないのではないか。情報を取りにいく記者という仕事の性格上、取材相手からセクハラ行為をされても、拒むのは難しい。情報を持つ者は、情報を求める記者に対して圧倒的な優位に立つ。取材現場のセクハラは、力関係で優位にあることを利用したパワハラと重っているのだ。

 辞めた財務省事務次官の事件はその典型だが、被害者の女性記者は上司に訴えても取り合ってもらえず、やむなく外部メディアを通じて表面化させ、やっと会社も動いた。だが、組織に属さないフリーランスのライターや非正規雇用の場合はさらに深刻だろう。

 財務大臣は、繰り返し「セクハラという罪はない」と発言しているが、そもそもセクハラという概念がない頃は、行為が正面から告発されることはなかった。アメリカのフェミニズムが考えだしたセクシュアル・ハラスメントという用語が、日本に入ってきたのは1980年代後半。その頃、女性雑誌記者の会合でセクハラ体験が堰(せき)をきったように語られる場に居合わせ、言葉が生まれる意味を実感した。言葉が経験を引き出すのだ。

 もちろん記者職だけではない。あらゆる職場にセクハラが横行している。特に発生率が高いのは、医療や介護の現場であるとされる。

 ■人権侵害であり性差別

 男女雇用機会均等法11条は、事業者に対して「職場において行われる性的な言動」によって女性労働者が被る不利益と環境悪化を防止する雇用管理上の措置義務を定めている。2017年版『男女共同参画白書』によると、人事院では毎年12月4日から10日までを「国家公務員セクシュアル・ハラスメント防止週間」とし、各府省における施策の充実をはかるため講演会やセミナーを実施したというが、効果がなかったことが証明された。財務省は慌てて講師を呼んで講座を開いたようだが、大臣や議員諸氏もセクハラ講座を受講してもらいたいものだ。

 主に男から女に対して行われるセクハラの背景には、根深い女性蔑視がある。人権侵害であるとともに性差別であることを知ってほしい。セクハラをしても刑事罰がないからよいではないかというなら、男女雇用均等法に罰則規定を追加すればよい。衆参両院を合わせた女性議員は97人。彼女たちも男性議員や有権者に対してじれったさや感覚のずれを感じているはずだ。この際、超党派でセクハラ罪を議員立法するという手もある。

 政権中枢に近い著名ジャーナリストによるレイプ事件の告発、そして今回の事件に対する政治家やメディアの対応を見ていると、ジェンダーギャップ(男女格差)指数が144カ国中114位というのもうなずける。空気のように日本社会を覆っているこの後進性を払拭しなければ、安倍内閣のキャッチフレーズ「女性が活躍する社会」の実現は望めないだろう。

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