3月に行われた中学生の硬式野球大会の開会式で、始球式を行ったタレントの稲村亜美さんが選手たちにもみくちゃにされるという事態があった。
メディアでも大きく取り上げられたので、映像を見て衝撃を受けた方も多いと思う。
稲村さんは所属事務所のホームページで「ネットで一人歩きして書かれているような事(痴漢行為)は、ありませんでした」とコメントしたが、動画を見る限り選手たちが体に触れていないとは思えない。
当事者が許せばよいという問題ではなく、集団での性犯罪とみなされてもおかしくない行為ということを認識しなければならない。
野球経験のある稲村さんは、この大会を主催したリトルシニア連盟の卒業生で、彼らの先輩にあたる。
「体育会」的な人間関係では丁重に敬われるはずの存在だ。行為そのものも衝撃的だったが、先輩に対する乱暴だったということにも驚かされた。その背景には、女性軽視の感覚があるのではないか。
野球界は極端な男性社会だ。近年は女子チームも徐々に増え、女子プロ野球も開催されるようになったとはいえ、いまだに競技人口の大半を男性が占める。
女性の野球との関わり方は、女子マネジャーや選手の母親などの陰ながらのサポートに限定されがちで、男性が「主」、女性が「従」という構図は色濃い。
「マネジャー」は本来、経営や管理にあたる人を意味するが、主体的に組織を切り盛りしている「女子マネジャー」はまずいないだろう。
高校野球の甲子園大会では、グラウンドへの立ち入りさえ制限されている。
プロ野球の始球式では、若い女性タレントが露出の大きい衣装で登場することも多い。
「男の勝負に花を添える」という機能を果たしている点で、これも「男性=主、女性=従」の構図の一環として捉えることができると思う。
CMで見せた見事な打撃が「神スイング」と評判になった稲村さんでさえ、始球式ではたいてい丈の短いパンツで美脚を披露している。
本人に非があるという意味ではない。指摘したいのは、稲村さんほど野球がうまくても、「花を添える存在」という位置づけから自由ではないという構造だ。
開会式での騒動は、始球式の女性タレントを「お色気担当」と見てしまう感覚が、礼儀を尽くすべき先輩という認識を上回ってしまったと解釈できるのではないか。
同じリトルシニアの卒業生でも、開会式に来たのが中日の松坂大輔投手や巨人の阿部慎之助選手だったら、秩序を乱すような行動はなかっただろう。
世界経済フォーラムが昨年発表した男女格差を図る指数では、日本は144カ国中114位と非常に低い位置にランクされている。
思春期の中学生の暴発とあきれるだけでなく、女性の地位をめぐる問題を見つめ直す契機にするべきだと思う。
自動車レースのF1シリーズでは、プラカードを持つなどしていた女性モデル「グリッドガール」が今季から廃止された。
始球式から女性を排除する必要はないが、性的魅力が強調されたり、ジェンダーロール(性別ごとの役割)の固定化を助長したりするような要素は見直す余地があるだろう。
「先輩への暴挙」という視点から話を展開してきたが、「礼儀をわきまえるべきだ」と言いたいわけではない。上下関係を重んじる「礼儀」では、立場の弱い者への暴力や暴言、ハラスメントを防ぐことは難しいからだ。
礼儀の問題というよりも人権の問題として捉えるべきであり、「性別や年齢、出自にかかわらず、個人を個人として尊重する」という認識を深めることが重要なのではないか。
児矢野 雄介(こやの・ゆうすけ)プロフィル
2003年共同通信入社。高知支局を経て05年から運動部で主にプロ野球を取材し、現在は巨人担当。栃木県出身。