酒井よ歴史を作れ!UEFA主要大会で頂点に近づいたアジア人

いよいよ本日未明、UEFAヨーロッパリーグの決勝マルセイユ対アトレティコ・マドリーが行われる。

日本人としては、何といっても負傷から復帰したマルセイユの酒井宏樹に頑張ってもらいたいところだが、今季は、南野拓実がレッドブル・ザルツブルクで躍進するなど、2人の日本人がこのハイレベルな舞台で4強入りに成功した。

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そこで今回は、UEFAが主催する主要な国際大会で頂点に立った、あるいは頂点に迫った経験を持つ貴重なアジア人選手たちをご紹介しよう。

内田篤人(日本)

2010-11 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4(シャルケ)

2010-2017まで古豪シャルケに在籍し、公式戦153試合に出場した内田篤人。

若い頃はその類まれな才能に依拠した攻撃的な選手であったが、ドイツの地でタフさと守備能力を飛躍的に伸ばし、現実主義的なプレーヤーへと大きく変貌を遂げた。

そんな彼はシャルケ時代の1年目に欧州の舞台で輝かしい結果を残している。途中、恩師マガト監督が解任される事態となったものの、準々決勝インテル戦で長友佑都との日本人対決を制すと、クラブ最高成績となるベスト4入りを達成した。

アリ・ダエイ(イラン)

1998-99 UEFAチャンピオンズリーグ 準優勝(バイエルン)

「A代表通算100ゴール」という前人未到の偉業を成し遂げたイランの英雄、アリ・ダエイ。

バイエルン・ミュンヘンに在籍していた1998-99シーズン、実はUEFAチャンピオンズリーグの決勝を経験している。グループステージから準決勝までで4試合に出場したダエイは、マンチェスター・ユナイテッドとの決勝でもベンチ入りしたものの出場機会はなし。

試合も後半アディショナルタイムに2ゴールを許し、まさかの準優勝に終わった。

チャ・ボムクン(韓国)

1979-81 UEFAカップ優勝(フランクフルト)
1987-88 UEFAカップ優勝(レヴァークーゼン)

今なおアジアの歴史上最高のストライカーと評価されているチャ・ボムクン。強烈なフィジカルを生かしたプレーで知られ、ブンデスリーガで98得点を奪った名選手である。

フランクフルトとレヴァークーゼンでそれぞれ1度UEFAカップを制覇。1987-88シーズンの決勝では2ndレグの81分に試合を振り出しに戻す決定的なゴールをあげた。その後PK戦で勝利を収め、大きな働きを見せている。

もちろん息子はあのチャ・ドゥリ。親子で韓国代表として活躍した。

奥寺康彦(日本)

1978-79 UEFAチャンピオンズカップ ベスト4(ケルン)

スター揃いだった80年代のドイツ・ブンデスリーガにおいて、スピードと技術、安定感を武器に万能選手として活躍した奥寺康彦。

当時のブンデスは外国人枠が2つしかなく、その中でレギュラーを獲得していたというだけでも奥寺がいかに信頼される選手だったかが分かるだろう。

そんな彼が欧州の頂点に近づいたのが、1978-79シーズンのチャンピオンズカップ。加入2年目のケルンにおいて、日本人初のベスト4進出を果たした。

準決勝の相手はノッティンガム・フォレスト。奥寺はアウェイでの第1戦でゴールを決め3-3の引き分けに貢献したが、残念ながらホームでの第2戦は0-1で敗戦。決勝進出はならなかった。

パク・チソン(韓国)

2004-05 UEFAチャンピオンズリーグ ベスト4(PSV)
2007-08 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝(マンチェスター・U)
2008-09 UEFAチャンピオンズリーグ 準優勝(マンチェスター・U)
2010-11 UEFAチャンピオンズリーグ 準優勝(マンチェスター・U)

アジア人史上最も偉大な功績を残したフットボール選手のひとり。

Jリーグを経て欧州に羽ばたいたパク・チソンは、PSVで代表時代の恩師ヒディンク監督のもとイ・ヨンピョとともにCLでベスト4を達成すると、ユナイテッドでも貴重な存在となった。

2007-08シーズンのCLで準々決勝、準決勝とフル出場。だが、チェルシーとの決勝戦では、試合直前にまさかのベンチ外を言い渡される。チームはPK戦の末に優勝を飾ったが、ファーガソン監督はこの件を本人に謝罪している。

翌年の決勝ではスタメン起用され、アジア人として初めてCLファイナルの舞台に立った選手になった。ただ、この年も、そして同じように決勝で先発起用された2010–11シーズンもチームは準優勝どまり。

キャリアにおけるCL優勝は奇しくも決勝戦に出場できなかった2007-08シーズンのみ。

小野伸二(日本)

2001-02 UEFAカップ 優勝(フェイエノールト)

UEFAの主要国際大会において、日本人初にして唯一タイトルを獲得しているのが小野伸二だ。

18歳でワールドカップに出場し、浦和で天賦の才を発揮した彼は大きな野望を抱き2001年にフェイエノールトへ加入。その天才的なテクニックは後にスナイデル、ファン・ペルシーが絶賛したほどでオランダ中を魅了した。

一方、当時の指揮官ベルト・ファン・マルワイク(現オーストラリア代表の監督)からは「伸二のプレーはまるでサーカスだ」と厳しい指摘を受けたものの、1年目にしてUEFAカップ制覇という最高の結果を残している。

これはフェイエにとって実に28シーズンぶりの国際タイトルで、彼が今なおフェイエサポーターに愛される理由ともなっている。

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