「サプライズ選出」でW杯の切符を掴んだ5人の日本代表選手

2018年ワールドカップまで1ヶ月を切り、出場チームは出場選手のリストを発表している。

日本代表も18日(金)にガーナとの強化試合に向けた候補メンバーを発表する予定であり、最終的には31日(木)に登録メンバーが明かされる見通しだ。

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そこで今回は、過去のワールドカップにおいて「サプライズ招集」から本大会行きの切符を掴んだ選手を振り返る。

大久保 嘉人(2014年大会)

生年月日:1982/06/09 (35歳)
ポジション:FW
当時の所属チーム:川崎フロンターレ

アルベルト・ザッケローニ監督の構想からは外れており、代表にはおよそ2年ほど招集されていなかった大久保。

だが、前年のJ1で得点王になると、2014年に入ってからも得点を量産しており、周囲からの期待値は高まっていた。

そして、豊田陽平と入れ替わるような形で、土壇場でメンバー入り。ザックはそれまで招集してこなかった理由を「計算できる選手なのは分かっていた」というように説明していた。

選出者:編集部I

川口 能活(2010年大会)

生年月日:1975/08/15 (42歳)
ポジション:GK
当時の所属チーム:ジュビロ磐田

1998年、2002年、2006年と3大会連続でワールドカップメンバーに名を連ねていた川口。

2010年大会のメンバー発表当時は所属するジュビロ磐田で全く試合に出場していなかったが、岡田武史監督から経験を買われ34歳という年齢で登録リストに名を連ねた。

本大会でゴールを守る機会はなかったが、最年長としてチームを束ね、ベスト16進出に貢献した。「川口枠」という言葉が生まれたのはこの時だ。

選出者:編集部S

巻 誠一郎(2006年大会)

生年月日:1980/08/07 (37歳)
ポジション:FW
当時の所属チーム:ジェフ・ユナイテッド千葉

37歳になった今も故郷の熊本で現役を続ける巻誠一郎。その名前を聞く機会はあまり無くなったが、2006年大会当時、彼は「時の人」であった。

大卒後に加入したジェフでオシムの薫陶を受け急成長すると、2005年に日本代表入り。予選での出場はなかったものの、直前の強化試合で好印象を与え、滑り込みでメンバーに選出されたのである。

負傷を抱えていたとはいえ、エース・久保竜彦の選出は堅いかと思われた。それだけに、メンバー発表の最後、23番目にジーコの口から「マキ」の名前が読み上げられた瞬間、会見の報道陣から「おぉ」とどよめきの声が上がっている。

選出者:編集部H

秋田 豊(2002年大会)

生年月日:1970/08/06 (47歳)
ポジション:DF
当時の所属チーム:鹿島アントラーズ

個性派が揃った2002年の日本代表。フィリップ・トルシエ監督はチームをまとめるベテラン選手として、しばらく招集経験のなかった秋田豊を選出した。

チームを盛り上げようとする姿勢はドキュメント「六月の勝利の歌を忘れない」にも収められており、曽ヶ端準、 楢崎正剛、森岡隆三との「アゴ・カルテット」は盛り上げ役に。

また、この大会では秋田より3歳年上である中山雅史も参加しており、背番号「10」をつけた。

小野 伸二(1998年大会)

生年月日:1979/09/27 (38歳)
ポジション:MF
当時の所属チーム:浦和レッズ

日本の記念すべき初ワールドカップ。

それを最年少で経験した選手が、「天才」の名をほしいままにしていた小野伸二だ。

プロ1年目でつかんだ夢舞台への切符。カズ、北澤の落選は波紋を呼んだが、18歳のMFは第3戦のジャマイカ戦でピッチに立つと、実に堂々としたプレーで攻撃のタクトを振り、日本代表の新たな希望となった。

選出者:編集部O

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