車椅子でも自由に/古林 翼

16歳の冬僕の人生は大きく変わった…

高校に入りしばらくし、高校生活が楽しくなく建設関係の仕事をしながら毎日を過ごしてた16歳の冬友人達と夜ドライブに出かけ僕は次の日仕事があるから寝ると言い目が覚めたら

ここは一体どこだ??

俺は今どこにいるんだ??

目の前には電気で明るく真っ白な天井が見え今の状況が全く分からなくキョトンとしていたら隣で看護師の方が、僕の名前をずっと呼んでいて、その後医師の方も来てこう言いました。

ここがどこだか分かる?

今日何日か分かる?

今何時か分かる?

ずっと質問攻めにあい最初は何を言っているのだと思っていたが、質問に答えてくと何一つ合ってなくここは病院だよと言われ僕の今置かれている状況がやっとわかりました。

僕はその時病院かぁ~

何があったんだ?

とりあえず仕事場に連絡しないとヤバイやーなんて思いながらベットから起き上がろうとしたら

あれ??

動かない。。。

僕はその事故で頚随損傷になった

 頚随損傷とは、感覚、運動だけではなく自律神経系も同時に損なわれる。麻痺野においては代謝が不活発となるため、外傷などは治りにくくなる。また、汗をかく、鳥肌を立てる、血管を収縮/拡張させるといった自律神経系の調節も機能しなくなる為、体温調節が困難となる。

僕は中でも状態の悪いC4番と言われ首からしたは全く動かないと言われている所を損傷してしまった。

それから3ヶ月後、夜ご飯を食べようとした時、突然医師の方に呼び出されベットのまま別室に運ばれるんなんだろう?

と思っているとそこには家族と看護師と医師が居て皆暗い表情をしていた。

そこで僕は医師の方に、これから先ベットでずっと寝たきりで身体を動かしたりするのは出来ないんだと医師から告げられなぜだか、僕はなんとも思わずそうなんだぁ~と他人事のような感じだった。

僕の中で医師の方に言われるまでにわかっていたから気持ちをすぐに切り替え、じゃあ今後どうするか?どうやって生きてゆくか?など今出来る事を考え、僕はリハビリ病院に移転し1年8月にも及ぶリハビリにより今は電動車椅子で、一人暮らしをしその後、就職をし無事に社会復帰出来るまで回復した。

障害を追って僕は良かったと思っている。

普通はおかしな考えだと思います。

ですが、障害を追って身体の自由を失い一事は寝たきりまでと宣告されたが、身体の自由を失った事によりいろいろな人に出会い人の温かみや優しさなどがより知れた。

障害を追わなかったらは僕は狭く小さな世界で何もなく生きていただろう。

だが障害を追い僕の世界、見える景色がとても広くなった。

ただ車椅子に乗っているだけで、けして何も変わらない。

常に目標を高く持ち続け僕はもっと自由に生きる。

今は僕の全てでもあるアメリカンフットボールのスタッフをしてる。

障害を追って選手としては戻れなくなったが、違う形でまたフットボールが出来るという事、これは僕にとって人生で1番幸せな事かもしれない。

著者:古林 翼 (from STORYS.JP)

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