“フロンターレ名物”を作った西城秀樹さんの急死…… 中村憲剛らが感謝のメッセージ

等々力陸上競技場で『YOUNG MAN(Y.M.C.A)』を歌う西城さん photo/Getty Images

歌手の西城秀樹さんが16日、急性心不全により63歳の若さで亡くなった。これを受けて、川崎フロンターレの象徴であるMF中村憲剛が、故人に対して哀悼の意を表すとともに、感謝のメッセージを送っている。

川崎市に住んでいた縁もあり、2004年に行われた市制80周年記念マッチ、川崎対横浜FC戦のハーフタイムショーに出演した西城さん。代表曲でもある『YOUNG MAN(Y.M.C.A)』を披露し、スタジアムを盛り上げた。以後、ほぼ毎年のように川崎市制記念試合に出演し、ハーフタイムにサポーターと一緒に踊る姿は“フロンターレ名物”のひとつとなっていた。

17日に「感謝」というタイトルで、自身の公式ブログを更新した中村。「西城秀樹さん。等々力にお客さんがそこまで入ってない10何年前から、市制記念試合で等々力にほぼ毎年来てくれて、ホームアウェイ問わず老若男女サポーターのみんなが楽しくYMCAを踊り盛り上がる。それが等々力のそしてJリーグの夏の風物詩になりました」と振り返った上で「今の等々力の雰囲気を作ってくださった存在。いつもありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」と綴っている。

そして、クラブも公式Twitterを通じて「いつも謙虚で気さくで笑顔がとても素敵な方。せっかくの縁だからと、フロンターレのサポーターのために、わずか数分の出演にも関わらず毎回毎回リハーサルから一切の妥協を許さない厳しい方でもありました。あの、等々力が一体となる瞬間が大好きでした。秀樹さん、ありがとうございました」と感謝の意を述べた。

また、川崎のマスコットキャラクターである『ふろん太』は「多くの芸能事務所から『冗談でしょ?』って言われるような費用しか用意できなかったのに、当時川崎在住というだけで男気で来てくださった。以来ずーっと頭が上がらなかったけど、去年西城さんの方から『毎年呼んでくれてありがとうね』って。僕、感謝の気持ちを持つ大切さを教えてもらったよ」と、西城さんとの裏話を明かしている。

川崎がJ2だったころから長年支え、フロンターレを、そしてJリーグを盛り上げてきた西城さんの急逝。心よりご冥福をお祈りいたします。

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